2015年8月30日日曜日

一ゲーム差

 しかし、国会前にぎょうさんデモの人が集まったそうであるが、「戦争法案」の反対のデモだそうで、今、国会でそんな名称の法案など審議していないから、なんか、仲良しクラブみたいな感じだろうか?(レッテル貼りしたら、その時点で、攻撃力が著しく劣るという簡単なことがなぜ、わからん?やるんやったら本気でやって欲しい)



 スワローズ勝つ。しかし、10点差を8回9回で3点差にまで、追いつかれ、ようやっと、バーネットまで引きずり出して、という危なかっしい勝利であった。

 ただ、8月25日の対讀賣3連戦で、なぜか、阪神タイガースファンの方の一部が、3位東京ヤクルトスワローズが2位讀賣に勝つように、応援(というか、単に讀賣負けろだろうが)したというのを聴いて、「しめた」と思ったものである。

 あの、ことに、甲子園でおいての、それこそ、一心不乱の5万観衆の「集団超能力」をしばしば、目の当たりにすると、なにか、お寺には不義理の限りを尽くし、ユリ・ゲラーを鼻でせせら笑ったオレでも、ことプロ野球においては、スーパーナチュラルな、不思議だが本当だ世界を、実は信じているのである。例えば、85年のバックスクリーン3連発って、「現実」にはありえないことなのである。阪「神」だから、「神」的能力があるのである。ちなみに、東京ヤクルトスワローズファンには、そのような、能力は無い。悲しいがそれが現実なのである。

 そのような、ある種強力な「超能力を持つ」阪神タイガースファンが、5日前東京ヤクルトスワローズの勝利を祈ってくれた・・・この、些細な出来事が、館山投手、ケガからようやっと復帰した館山投手、今まで5年前1本打っただけの館山投手に、今夜、生涯2号目、それも3ランホームラン、それもそれも、3点差の決勝となるホームランを打たせたことに、つながったと、オレは、密かに、思うのであーる(と、イヤミはそのくらいにしといて、いやあ、しかし、やはり、スワローズ、先発陣はともかく、投手陣が貧弱ですわ、甲子園のあの雰囲気にすぐ呑まれてしまう投手が多い)。

2015年8月21日金曜日

8月21日

 「日本のロック名盤ベスト100」(川崎大助著 講談社現代新書)を読む。

 「風街ろまん」が1位とするような人の書いた本で、当然、オレとは音楽への態度が異なる。
 ただ、ロックベスト100に、ランキン・タクシーやらスチャダラやミュート・ビート入っているんで、もしや?と思った。けど・・。
 それでも、ランクそのもの凄い。半分ぐらいしか、知らんけど、面白く読めた。

 ランク付けが終わると、「第二部 米英のロックと比較し日本のロック全歴史」では、最後のあたり、ず~~~っと、愚痴りながら説教されているようで、しんどかった。ロック教条主義は言い過ぎかもしれないが、少なくとも、ロックによって世の中を変えることができると、信じているようである。米英のロックといつまで、比較せなあかんのだろう?
 
 やっぱ、本の題名に「ロック」つけるぐらいなら、読む側を、「おおおおおおお!!!」と思わせてくれないと、淋しい。
 悪いが、オレは、クリントン元大統領とストーンズの話ができても、なーーんも魅力を感じないんである。

 ま、そんなことはいい。買った方が悪い。読んだほうが悪い。

 第二部で、GS(グループ・サウンズ)に関してボロクソ書いてあり、この点に関しては、(ムフフ)である
 「・・・似合わない不格好なマッシュルームカットして、振り付けを覚えて、『歌謡曲』としかいいようないロックもどきを、60年代後半になってもやる」(前掲書195ページ)

 まあ、この一文が著者のGS観を表している。たしかに、実際、当時、GSやってる方々も、そう思ったからこそ、「ニュー・ロック」路線を取ったわけであろう(これが日本の音楽の最大の不幸とオレは思っている)。
 80年代後半の近田春夫による、B級GS観、90年代の主に黒沢進氏よるカルトGS観等、何度もGSは再評価再再評価再再再評価されているのに、あいかわらずの観点からの評価に終っている。

 それに、沢田研二のマッシュルームカットは似合っていた気(http://60spunk.m78.com/tigers.html)がするぞ。GSのみならず、ジャニーズ系は70年代入っても、80年代入っても90年代入っても今の今まで、その路線でやっているわけだし。 

 レインジャーズの「赤く赤くハートが」聴いて、思わず血が出てしまうほど胸を掻きむしってしまいそうになる、「狂おしさ」、ジェノバの「サハリンの灯は消えず」のかつての領土樺太につい抱いてしまう、かなり危険な「郷愁」、ザ・プレイボーイズ「シェビデビで行こう」の、そのままボケて記憶を失ってしまいそうになる「爽やかさ」、オレは、「風街ろまん」より、これら「ロックもどき」に、「ロック」を感じてしまうんである(少し表現を大げさにしています)。

 読後、上記のようなこと思ったからこそ、こうして、今、ひさびさに、GSばっか聴きながら、これ書いているわけで、買って良かった、読んで良かった。
 しかし、なんで、今のロックの人たちは、「風街ろまん」を超えるアルバムを作ってくれないんだろう。21世紀でっせ。実はこっちの方が、ずっと、ず~~~っと、問題と思うが。それとも、憲法9条みたいに、一位固定化されてしまった?・・・まさか。

2015年8月19日水曜日

平成27年8月19日

 ほんまねぇ(竹村健一風)、今夜はともかく、ちょいこのところ、東京ヤクルトスワローズ、調子悪かったんで、(なんで、オレはイライラしながら汗臭い兄ちゃんやおっさんたちの集団みているんだろう?)状態になってしまい、心にほんの少し荒野ができた。こういう時、荒野に花を咲かせましょう、と、おんなのこたちを見ることにしている。


アイドルグループのライブの動画をこのところ、よく、観ている。
今月初頭に、TIFというイベントがあったので、その動画が、まだ、Youtubeで観れたりするからだ。

音楽的にピンと来るのは、やはり、PASSPO☆なんでPASSPO☆中心となる。
けど、他のいろんなアイドルグループのステージを観て、PASSPO☆のステージを観ると、PASSPO☆のは、ダンスというより、スケバングループ同士の喧嘩(でいり)近いもん、いや、出入りそのもの、と思った方が、オモロイ、ということに気がついた。

もちろん、スケバングループPASSPO☆が相手にするのは、他のアイドルグループじゃなく、仮想のスケバングループである。いや、目の前の観客みんなが相手かもしれん。 

例えば、「Wanted!」(下の動画だと、1:10~14:16あたりまで)。突然キスされた女の子がその男の子と絶対モノにしたる、ちゅうなかなか攻撃な曲である。あと、ダンスの中に変形正拳突きやら、蹴り(足を前に出しているだけ)なんで、どんどん、勘違いしてしまった。



 この歌の世界では、根岸愛がケンカの原因だろう。相手のリーダーとは凄い「因縁」がある感じがする。

まずは、全員で、とりあえずビビらせておいて、まずは、番長森詩織が前に出てサシで勝負に望む。
相手方にダメージ与えておいて、ついに、裏番根岸愛が藤本有紀美を伴って現れ、軽く一発。
森詩織とやはり武闘派の安斉奈緒美の2人が続く。
そして、全員で攻撃。こうやって、雑魚連中は一掃されていく。

ついにボスが残るだけとなった。
根岸愛が、「あなたが盗んだのは(誰でもない)、私のピュアマイ・ハート」。
それを合図に、一人ひとりが次から次へとサシで挑んでいく。静かにテンションが盛り上がっていき、番長根岸愛が「逃したりしないの」とすべての力を振り絞って、叫び、相手のボスにトドメ。
そして、全員による、勝利の雄叫びを上げながら、バシッと決めて終わる。

こういう風に見るクセがついてしまったんで、狭いライブハウスのフライト動画では、「お、鶴翼から蜂矢」とかアホなこと思っている。

今年になって、メンバーが2人抜け、9人から、7人に減ってしまったが、二人減ったことが、アイドルグループ特有のあれやこれやはオレはようわからんが、たしかにかつての多彩な攻撃性は薄れたが、スケバングループとしての攻撃力は増したように感じる。
なんか、女性アイドルグループに対して言うことじゃないかもしれんが、「凄み」みたいなの、あったと思う。

PASSPO☆には、正統的なヨコハマの不良の命脈を受け継ぐ岩村捺未(唄うまくなっている・・・)がおるから、こんな風に見てしまうクセがついたのかもしれん。いや、PASSPO☆自体がやはり、攻撃的なんだろうと思う。


あと、おなじプラチナムプロダクションの妹分のPaletの「Keep On Loving You」(2014年4月)が好きになった。ここは、美形だらけで、おっちゃん見ているだけでウレシイが、信じられん美少女武田沙希がおる。

あと、いろんなアイドルグループのステージや曲についても書きたいが、この世界はケナせばファンから怒られ、褒めればアンチから怒られる世界だし、知識が皆無な以上、滅多なことは書けない。ただ、アイドリング!!!は、情緒に流れてる、と思った(もちろん、以上の文章、一字一句、精神年齢87歳の個人の妄想・・もとえ感想文です。実際の効用を説明したものではありません)。

2015年8月10日月曜日

2015年8月10日

 連日、各メディア、世論調査ばっかやっているみたいで、毎月毎月首相支持率が低下していくこと、欣喜雀躍しながら報道している(ように見える)。

 ほんま、首相というのは因果な職業やな、と思うわけである。

 日本人の一部の方々は、戦後、「安保」という言葉に絶対的な嫌悪、それも強烈な嫌悪を抱くらしく、まあ、理屈で反対しているのではないから、困る。

 ほとんど、勝手に、「戦争法案」と名前を変えて、その「戦争法案」を元にいろんな妄想くっつけて、その妄想に反対しているデモなので、こっちに響いてこないのである。
 オレは自分の人生振り返って、その幸運の度合からいうて、戦争になったら、一番最初に死ぬのは、オレだという確信があるので、もちろん、戦争は反対だ。何度、友人の生まれて初めての役満に振り込んだと思っている!!!



 一部の新聞テレビ局がその妄想を膨らますのに、悪ノリした挙句、野党がそれにノっかり、とうとう、「徴兵制」、「ミサイル」「核兵器」まで、くっつけるんだから、「誇大妄想」の域に達して、さすがについてけない。彼らの脳内では、今の政府は自由な言論を弾圧する全体主義の独裁政権であり、首相なんか、もう、ヒトラー通り越して、人類の敵である。
 
 これはこれで、オモロイ。青年期筒井康隆の著作によって育まれた(コレハナンナノダロウ?)感が尽きない。

 いつか、デモに参加している方々にも、(アレハナンデアッタノダロウカ)と冷静になる時がくれば良いが、来なかったら来なかったで、いい。知ったこっちゃねー。

 ただ、「情緒」に訴えた以上、何らかの要素で、たやすく180度転換し、同じテンションで「戦争賛成」になる危険性を持っていることを忘れたらアカン。

 で、思うのである。
 まあ、この法案は通るであろう。
 しかし、安倍首相以降の首相、もう、新聞テレビ学者連中文化人俳優監督にあれほどボロクソ云われ、支持率低下を呼び、政治家としては損なだけの安全保障政策には、これに懲りて、もう、手をつけないのではないだろうか。
 
 
 このところ、暑い。思考力が低下している。

 だからだろうか、誰ももう日本の安全保障には手をつけない。それで、いいのかもしれない、と思い始めている。

 もちろん、日本はヤバイ状況に置かれ、そいで、やっぱし、最悪の状況を生んでしまうかもしれん。
 戦後70年経って、日本人は「安全保障」という概念が遂にわからんかった。「憲法9条」のスーパーナチュラルなパワーの方を信じた。けど、目の前の現実からだと、さすがに、理解できるだろう。
 僥倖に恵まれれば、残った日本人は山の中に隠れて、落とし穴作ってゲリラ活動しているかもしれん(オレは上記の理由でいない)。
 ・・まあ、その時は、「安全保障」よりも、「国家とは何か」か。
 もう、そっから、始めることになってもいいと思っている。

(上記の文章を書く際、もっとも、参考となったのは、ニューズウィーク日本版の

日本ではなぜ安全保障政策論議が不在なのか

という文章でした。戦争もイヤですが、「大量虐殺」がもっとイヤです。また、見過ごしたり見なかったふりにするのがもっとイヤです。)
 


2015年8月3日月曜日

!!!

 横山剣の「本牧ブルース」!!!
この「Songs」というBSの番組、昭和歌謡のカヴァーを現在の歌手に歌わせるちゅう趣向であるが、たいていは、センスがイモなクセに、「今」風にカッコ良く唄ってやろう、或いは、まだ、自己が確立していない分際で、「自分」風に歌ったりして、それが、イモ過ぎたり、カッチョ悪すぎたり、好きな曲であれば、絶対、お口直しに、後、オリジナル聴かないと寝られないんで、あんまし観てないのだが、今夜の横山剣の「本牧ブルース」は、もう、これは・・・。
 !!!
 横浜ちゅうんは、なんとすばらしい町なんだろう、と思った。ゴールデン・カップスの時代から、ず~~~っと、ず~~~っと、ず~~~っと、切れ目なく、「何か」が、ちゃんと、今の今まで、つながっているんだ。



 昨日のはわけわからん文章であった。
 このところ、更新してないのに、アクセス数がやたら上がっているんで、落ち着かせるためには、政治ネタである。

 しかし、あと気持ち悪いのは、60年代風に、さっそく「進歩的文化人」みたいな連中が現れて、デモに参加するヤツをやたら持ち上げたりしている。ほんま、大丈夫だろうか?60年安保の時は、新聞社7社があわてて、議会制民主主義を支持する宣言をしたのだが。

 しかし、「数」にたった一人で乗り込んでいったこういう若もんもおるわけで、彼に罵声を浴びせ、彼を排除するしかできなかったところに、この騒ぎの限界を見た。

 しかし、この人、カッチョいい!!! 
 まさにパンク。オレよりずいぶん若いがこういう人に将来なりたいです。


2015年8月1日土曜日

ほんま、キンクス好きでよかった。

 まあ、ある法案に反対するんはぜんぜん、かまわないと思う。デモもいいだろう。

ただ、デモに集まったみんなで、法案を「悪」として、攻撃するうちに、あたかも、自分が「正義」、と勘違いしてしまい、そのうち、なんか、「悪」に向かって罵詈雑言の限りを尽くしているうちに、つい、云っている自分たちが「善」で「清く」そして「エラく」なったような気がして、そのうち、それをすっかり信じこんでしまう。「悪」を攻撃するのは、誰でもできるというのが、どっか、行ってしまうのである。その「悪」よりもっともっと、「悪」ですら、できる。

当然、もう「絶対悪」となってしまった法案を通そうとする、与党は、当然「絶対悪」、100%「悪」である、当然、首相など、世界歴史レベルの「極悪人」である。それらを罵倒しまくるオレたちこそが、「正義」、「絶対正義」と信じこむようになってしまう。自分たちが間違っているんじゃないか、と云う、後ろめたさ、疑問、一切生じることがない、なぜなら、自分たちは、「絶対正義」なのだから。

でも、ワシらからみたら、単に、ある法案に反対しているだけで、自分が「正義」、それも、誰の疑義も挟む余地のない、「絶対正義」という、神の領域ですらある存在になれるもんだろうか、と思ってしまうわけである。しかも、ややこしいことに、「絶対正義」であるだけなら、ともかく、どうやら、圧倒的な「精神的優位性」まで獲得したようである。それが証拠にその法案に賛成するヤツは、もう、人類の敵レベルの罵詈雑言を被せられる。

単に一法案にNoと云うだけで、こんな、もう、恐れ多くも畏くも「神の領域」に誰もが、達することができるものなのだろうか?
誰か、ツッコミを入れるヤツがおらんのか? 

御存知のとおり、60年代の大学紛争、最初は、1968年あたりの学費値上げ反対運動やらマスコミ授業批判、医学部のインターン問題等,フツーの人もなるほどな、と思う問題で、デモや学内スト等で始まった。それが、一年後には、東大安田講堂事件、2年後にはよど号ハイジャック事件、たった、4年には、あのあさま山荘リンチ事件、である。あといろいろ悲惨な事件あるけど、後は調べてくれ。

彼らは、みんな、「正義」であった。
そして「正義」は、暴走する。






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