2014年12月30日火曜日

ザ・タイガース・オンステージ

 つまり、こういうことである。この記事(http://www.yomiuri.co.jp/national/20141229-OYT1T50048.html)の写真、とか目にすると、「ああ、オレがジュリー(1968年当時の)だったらなぁ」と思うわけである。20才のジュリーだったら、なんとかなるかもしれない・・。

 それはともかく、もし、この記事のお方が、「パンが無いなら、お菓子を食べればいいじゃん」とかおっしゃられたら、もう、一生パンは食べません食べれなくてもかまいません。だから、と、オレは思うのである、マリー・アントワネットはひょっとしたら、ブスだったんかもしれんなぁ、と。

 アホなことはこの程度にしといて、続いて、ザ・タイガースの話である。もう、止まらんなあ。

 リアルタイムのザ・タイガースねたは、尽きた。いや、実際、一度、新幹線で乗り合わし、テンション、マックスになったことがあるのだが、さすがに、1970年あたりには、左卜全とひまわりキティーズの前では、当時のザ・タイガースはあまりにも無力であった。

「ザ・タイガース・オンステージ」である。5枚組CDには、「ザ・タイガース・オンステージ」からは、4曲しか入っていないんで、アルバムで聴く。
ザ・タイガース・オン・ステージ



 前回、終わりの方、ポップ・グループ書いたが、ザ・タイガース・オンステージを持ってきて、音的に、どっちがアバンギャルドでアナキーで騒音まみれで絶叫が多いか、いや、どっちが「狂気」か、で〆ようと思っていたわけである。

 ホンマ、ザ・タイガースはとんでもないグループなのである。

 一番最初のアルバムがライブ、ザ・タイガース・オンステージ、なのである。
 信じられない。
 1967年。おそらく、このアルバム発売と前後して、例のあやめが池事件で、コンサートに来た客が負傷し、それに関連するんか知らんが、NHKの出演が取りやめになり、以降、NHKから、締め出されることになるわけである。そう、ザ・タイガースは、ロックグループでも、歌謡曲のアイドルじゃない、ザ・タイガースという「事件」なのである。「ムーブメント」なのである。


 「ザ・タイガース・オンステージ」大音量で、いっぺん、聴いてみて欲しい。持っている方も、ヘッドホンで、今までより、30度はヴォリュームレベル上げて。絶対に途中何があっても、ヴォリュームレベルを下げないように、そして、いくら、耳が、そして脳が、この「音」から抜け出したいと思っても、じっとガマンし、おそらく、その凶暴で荒々しい、そして禍々しい「音」が脳天あたりから何から突き抜けていくなった時、その「音」、つまり、「絶叫」を受け入れた瞬間、はじめて、神々しいものにかんじられることでしょう ・・・オレはまだ、わからんけど。

 さっき、そうやって聴いたところだ。
 まあ、耳はキンキン、おそらく一時的に難聴になってしもうているのか、かすかに耳鳴りがする。
 
 こういう経験をしているもんだから、村八分の「ライブ」が名盤と云われても、観客の絶え間ない絶叫が無いもんだから、フツーに音楽やっているだけ、やんけ、もの足りない。

 グループサウンズの悪口を云われる時、必ず、引き合いに出されるのが、この大量の歓声、絶叫(どんな曲やっても、どんな下手にやっても、いい加減にやっても、同じ)なのであるが、この、絶叫、紛れも無く、ステージの上の、演奏しているザ・タイガースへ向けられたものであり、つまり、ザ・タイガースが産みだした「音」なのである。
 リードギター=トッポ、リズムギター=タロー、ベース=サリー、ドラムス=ピーときて、ライブの時だけ、絶叫担当=観客のみなさん、と考えた方がいい。絶叫を「演奏」のひとつと考えることができる。
 ザ・タイガースと同等以上のテンション持ち、同等以上のパワー使っているんはまちがいないのだから。

 いうか、ザ・タイガースファンのお姉さま方はもう、それができて、廻りの絶叫を聴きながら且つご自分も絶叫しながらも、ザ・タイガースの音楽、楽しんでいるわけで・・。

 リー・ペリーのダブやザ・ポップ・グループやノイズ系のバンドがいくら不快な音が入っているとはいえ、「ザ・タイガース・オンステージ」の「音の塊」に比べたら屁みたいなもんですよ。

2014年12月28日日曜日

Only the intense can dance without moving

 まあ、前回の補足。

 10才の男児にとって、ジュリー、というか、ザ・タイガースの出現は、これは、もう、とんでもなく、センエーショナルなことだったんだ。

 オレにとってのザ・タイガースの出現とは、テレビでの、「君だけに愛を」だった。

 しかも、直前、ゴジラ映画の併映で、「加山雄三って、カッコいい・・・」とほんのり思っていた10才児童にとって、「君だけに愛を」は、その後の人生を変えるような、できごとであった。だいたい、100分かけて、一人の女性を、ギターで何曲も歌いながら、ようやっと、口説けたか口説けなかったか、それでも、微妙なレベルの加山雄三に対し、ザ・タイガースはわかりやすい。

 ザ・タイガースは何百人何千人もの女性、それも若いもんばっか、をそもそも、観客に集めといて、登場するだけで、興奮状態に追い込み、「お~プリーズ」が始まったら、もっと、興奮するところをわざとピーのドラムスの合図があるまで、鎮めといて、いきなり、「君だけに」だ、ジュリーのヴォーカルで大爆発、しかも、たちが悪いことに、超興奮状態マキシマムにもってきて、ジュリーが観客の「誰か」を「君だけ」部分で指差すもんだから、指されたおんなのこ、おそらく、振り切れてしまって、おそらくおそらく失神ないしは発狂状態、他のおんなのこたちは、当然、次に「君だけ」の部分にジュリーに指差されることへの期待マキシマムでやはり、超興奮状態。ジュリーなんである。観客をコントロールしているのは。

 最初から最後までず~~~っとぎゃあぎゃあ叫んでいるだけだったら、「あーバカだ」で終っていただろう。
 
 沢田研二。どんだけ、モテんねん・・・こんなにモテる人間がこの世にいるわけである。
 当時、トクヒラカズコというちんちくりんの子にフラれたばかりの10才男子学童のオレは、冷静に、思ったわけである。

 加山雄三方式でトクヒラカズコにフラたオレは、もちろん、ジュリー方式をこれからの人生とることにした。一人のトクヒラカズコより、何千人何万人のカネムラキミコである。

 そして、今思うと、非常に不幸なことであるが、少々当時からマキャベリストであったオレは、思った。
 
 (オレもモテまくりたい・・・ジュリーになりたい・・)

 男子児童の中では、「君だけに愛を」あたりまで、ザ・タイガースファンは多かったが、同級生の女子の多数が、沢田研二のマネをワシらがすることを、かなり暴力的な方法で禁じたんで(なんで、オレがジュリーのマネをすると怒ったのか、未だに謎である)、あっという間に、ザ・タイガースの人気は男子の中で落ち、おーままままのテンプターズ、マネしやすく女子ウケのいい、井上順、マチャアキを擁するザ・スパイダースに人気が流れていった(もちろん、レコードを買ったりするとか、みんな夢にも思わなかった)。
 
 オレは、早くも地下に潜り、隠れザ・タイガースファンとなり、平気で「やっぱ、ジュリーは女のもんや、男はやっぱショーケンやのぅ」と腕を組み話したもんである。隠れキリシタンの気持ちもアンネ・フランクの気持ちも、ほんのすこしわかるのは、このためである。

 ただ、学年が変わり、小5になった頃(1969)には、ダッシュ猛烈100ダッシュ、ゴッゴーゴーゴーの小川ローザ一択という情けない情けない状況になった。しゃあない。

 しかし、告白するが、爾来この年になるまで、何度、人生の場面場面で、「ああ・・オレはなんで、ジュリーじゃないんだろう?」と思った・・いや、と希求したことであろうか?「ジュリーだったらなぁ」オレはジュリーじゃないからだ。

 ただ、最近の沢田研二さんを見て、スタイル、いやいやいや取り消します、単なる体重では勝ててるんかもしれん、とほんのり、思ったりする。




 しかし、申し訳ない。昔話がやたら長い長いこの老人(もう、認めて生きるもんね)のブログ、なんちゅうことか、The Pop Groupの新しいアルバムが出るらしいし(なんか、ウソであって欲しいデマであってほしい)、それ前に、Cabinet of Curiosities、という当時の音源いろんなところから集めたヤツが出た。

 歌詞はもうほとんどわからんし、ほんのり、あ、昔の過激派みたいなことゆうてはる・・程度。今だとさすがに、古臭いのである。

 1980年当時も今も、歌詞がうっすらわかる状態だが、音が大好き。

 もう、めちゃくちゃやればやるほど、過激な歌詞を叫べば叫ぶほど、古臭い歌詞なのに、なにやら、深い深い絶望、を感じるんで、大好きなんである。日本のサヨクやリベラルが大キライなのは、そこまで、絶望しきっていないからだ。つまり、本気じゃないからだ。だから、吐き気がするようなキレイ事で誤魔化そうとする。大キライだ。

 このアルバムに入っている方の「Colour Blind」、ライブ音源だが、「We Are Time」に入っているヤツより、いい。上のジュリーのことを書いている時、ずっと繰り返して聴いていた。

「Only the intense can dance without moving」という、部分、「君だけに愛を」のジュリーが指差す部分と同じ・・いや、ムリが過ぎるか、似たような感慨を感じる。
 
今日は今年一年のお世話になった感謝をこめて、強引にザ・タイガースとザ・ポップ・グループをつなげてみました。
 
Cabinet of Curiosities

2014年12月26日金曜日

2014年12月26日

 「・・・となかまたち」って・・。政治なんかより、みんなで楽しく森にピクニック行くとか、もっともっと楽しいこと探した方が早いような・・。

 ボディ・シャンプー使い始めたら、とたんに、乾燥肌になって、痒い痒い。牛乳石鹸やバスボンの石鹸等フツーの安い石鹸に戻したら、乾燥肌が治った(あくまでも、個人の感想です)。


 スポーツクラブのプール、時間帯によっては、お子達のスクールがプール全部占有して入れないから、調子が狂う。夕食喰った後なら、いいのだろうが。県民プール、併用すること本気で考える。まあ、3ヶ月で1万円程度だし。実は、県民プールの「銭湯」感が恋しいだけかもしれん。
 
 
 しかし、PASSPO☆、どんだけ、エエ曲が埋まっているんだ?
 YouTubeで、「Break Out」(<iframe frameborder="0" height="360" src="https://youtube.com/embed/RlSEYsEenLo?si=icGkTP-cPG3lLYT6" style="background-image: url(https://i.ytimg.com/vi/RlSEYsEenLo/hqdefault.jpg);" width="480"></iframe>)という曲みつけ、カッコいいわ、ロックだわ、それが、どうも、メジャーデビュー前のヤツみたいで、早速、Amazonで古いアルバム手配した。

 Pock☆Star〜Love Diary〜Tap My Toe〜くちゃLOVE、Wanted,Tap My Toeと、まあ、順当にハマり、「サクラ小町(<iframe width="480" height="270" src="https://youtube.com/embed/M_lTETi_xZQ?si=woIKUTUiRZjfZ9Jq" frameborder="0"></iframe>)」、歌詞を誤解し、「ヒラヒラ舞う桜 肩に止まった」の「肩に止まった」を「形見となった」と聞き違え、次の「ハラハラ泪が決意になったらサヨナラの場所もはじまりと呼べるの」と、桜が散ると、それを「恋の形見」とするか・・・う~ん、恋とは死ぬこととみつけたり・・「葉隠」しとるなぁ、と思ってた。何度繰り返して聴いても、そう聴こえてしまうから、しゃあない。歌詞カード見て気がついたぐらい。もちろん、「肩に止まった」でも、いい歌詞なことには変わりない。
 
 もうひとつ、音楽ネタ。
 更新間が開いているが、実は何度も書いては消して、結局は下書きのまんまにしとる。めちゃくちゃ書きにくいのである。

 このところ、音楽がらみの本を読んだりしているんだが、その本の感想文とその本が対象としている音楽とのあまりにも乖離が激しく、もう、ここで書きにくいのってなんのって。PASSPO☆のみたいに今好きな音楽のこと、なら、なんぼでも書けるんだが。

 書きにくい=読みにくい
 だから、以下、めちゃくちゃ、読みにくいが、まあ、自己責任でよみたい人だけ読んでくれ・・・。


 たとえば、ひと月前、「ザ・タイガース 世界はボクらを待っていた」という本を読んだ。どう読んでも、これ、何度読んでも、「音楽」としてのザ・タイガースの数々をバカにしていると思えず、ためしに、手持ちのザ・タイガース音源すべて、手持ちじゃ足りないんで、5枚組ボックスまで、聴いてみたら、いい曲ばっか、多少退屈な曲はあっても、棄て曲なしのすばらしい曲ばっかだった。
 そうなんである。

 ザ・タイガースの曲はどれもすばらしいのである(具体的に一曲一曲、すばらしさを書きたいところだが、それやると収拾がつかなくなる)。

 「ザ・タイガース 世界はボクらを待っていた」という本もそうだが、一般的に、同時代の欧米のロックを「高度」なもの、ザ・タイガースを始めとするグループサウンズは、ルックスで人気が出たミーハーバンド、作詞作曲者が「歌謡曲」畑の人だから、「ロックじゃない」、当時の、学生運動やらを、崇高なもん、「カウンターカルチャー」の王道、として、ザ・タイガースを始めとするグループサウンズは商業主義の「体制的」な音楽、チャラチャラしたもん、とされている。特にザ・タイガースは、当時、芸能界で「帝国」と呼ばれていたナベプロ所属だっただけに、飼い犬みたいに見られている。
 
 これ、ウソじゃないのか? 

 GS以降の「日本のロック」ちゅうんは、要は、フツーの人たちに聴いていもらうこと、を切り捨て、売れることを拒否し、作詞作曲はいくらメンバー自身のものとはいえ、当時の欧米ロックの猿マネを忠実にしただけに過ぎないじゃないか。猿マネができるだけ、演奏が上手くなったのは、まあ、認める。

 はっぴいえんどが猿マネの過程で、欧米ロックにはあわないとされた「日本語」をたまたまうまく潜り込まさたことを、猿マネの「日本のロック」にとって大きな成果としたところで、猿マネには変わりない。
 ロックでも歌謡曲でもない、まったく日本には新しい音楽、つまり、ザ・タイガースを始めとするグループサウンズの音楽が、大多数の若い女性、そこには、女子小学生から中学生も含む、大多数の若い女性を熱狂させ絶叫させ号泣させ、時には失神させた事実の前では、屁みたいなもんではないか。

 だいたい、ザ・タイガースのコンサート行くだけで、停学退学、良くても、ほんまモンのスケ番グループにカツアゲされるわボコられるわ、である。テメエの大学バリケード封鎖して角棒で騒いで、機動隊に手厚く優しく(天安門を思い出せ)に阻止されるんとは、リスクが違う。
 
 そもそも、菅直人以外なーんも後に残さなかった学生運動と比べ、ザ・タイガースが提示した「男性アイドルグループ」のビジネスモデルは、今いるジャニーズ系のグループまで、連綿と受け継がれているではないか?

 また、当時、10才の男子ながらザ・タイガースのリアルタイムのファンとして、云わせてもらうが、当時、ザ・タイガースほど、強烈に猛烈に、嫌われ、バカにされ、厭われ、忌み嫌われ、妬まれたグループは他にいなかった。これをウソだったとはいわせない。
 
 NHK,文部省、教育委員会、学校関係者、大人全部は当然のことながら、男子は高校生中学生小学生まで、ザ・タイガースへの嫉妬のあまり、ミーハーだバカだアホだイモだ、と虚仮にし、ザ・タイガース以外のグループサウンズ、いや、ザ・タイガースのメンバー自身も、演奏が下手、ロックじゃない、所詮ナベプロ、サイケロックじゃない、と「ザ・タイガース」をバカにしてた。

 なあ、猛烈に好かれると同時に猛烈に嫌われる音楽、これを「ロック」と云わないなら、オレは「ロックなんか大キライだ。ザ・タイガースと寺内タケシを無視して、なにが、ロックか?
 

・・・ああ、書きにくかった。
 まあ、そもそも、レゲエばっか聴いている人間が今さら、「ロック嫌いや」、云うてもなぁ的文章ですわ。

 ジャマイカは同じ島国ながら、日本でグループサウンズが流行っている時、ロックステディという音楽が流行ってて、それをうまい具合に、世界的に通用する「レゲエ」へ持っていった時、おそらく、ジャマイカの誰一人として、「ロックステディはジミヘンやクリームやジェファーソン・エアプレインじゃない」とか云って、ロックステディを壊そうとはしなかった。逆にロックステディを愛し尽くして、変化させた。そこが日本の音楽にと、ちがう。

 日本の敵はおのれ自身にあり、葉隠ですなぁ。
 

2014年12月15日月曜日

選挙

 まあ、自民党勝って、ホッとしている。そういうタイプの人間である。再確認お願いする。
 今はラジカルでアナーキーな人間ほど、自民党を支持する、実はそういう時代なのだ(ついでに、日本を戦争にしない国にしたいと本気で具体的に考える人ほど、自民党に投票する)。

 まだ、「反体制」がカッコいいと思っている人は、どうぞ、その方向へ突き進んでくれ。単に首相の悪口云うんが「反体制」じゃないよ、お友だち作るためのデモが「反体制」じゃないよ、「破壊し尽くす」が「反体制」の王道やで。突き進んで欲しい。信じたことに裏切られる、その日まで。そいで絶望しきったら、ホンマの敵が見えてくる。

 民主党がアベノミクス批判するのに、単なる悪口しか云うてないのに、驚いた。
 オレなら、民主党の政権下、あの1ドル70円とかいう超円高だった頃の状況との比較論で議論するもんと思っていたのだが、一度もせず、アベノミクス側に押し切られるまんま。マスコミだって、同様。消費増税による影響と切り分けもせんと、一緒くたにして、枝葉末節批判したあげく、ロシア革命以来の「金持ちニコニコ貧乏人苦しい」連呼するだけ。日本共産党と一緒、本家そりゃ勝つわ。

 まあ、あの超円高、あれこそ、日本がまだ体験したことのない超円高だったわけで、アベノミクス程度の円安は、いままで、何度もあった。あの超円高、民主党政権の強い意思によるもんでないことはわかっている。むしろ、当時よく財務相から聞かれた「市場にゆだねる」、つまりはなーんもしない、なーんのことかもわかっていなかった当時の日銀と民主党の結果だとはわかっている。

 そいでも、やで。政権取る前の民主党のノリやったら、「あの超円高はワシら民主党が強い強い意思で日銀に要請を行った政策である」とブチまかしといて、それこそ、重箱の隅をつつき、無ければ、捏造しても、メリットを挙げ、正当化し、そいで、民主党寄りの新聞使ってキャンペーン張れば、「超円高の頃は良かったなあ」とかなっていたかもしれんのに。

 こうした議論に持っていたら、超円高によるメリット・デメリット、今の円安によるメリット・デメリットがきちんと、有権者にわかった筈だ。今後、じゃあ、どうすればいいかが、各自もちろん異なるが、それなりの意見を持つことができる。しかも、民主党の信頼だって、少しは回復するかもしれない。しないだろうけど。

 ほんま、つくづく思うんだが、野党もマスコミも「不安」や「恐怖」を煽って、感情的に「野党」に投票させるんじゃなく、有権者が説得し納得した上で投票させる方向へ持っていかないと。
 フツーの有権者はアホやないんやから。「悪」の存在をでっち上げ、それを倒すのが「正義」で美しいもの、だという、60年安保のノリはもう捨てて欲しい。当時はそれで、国会前に13万集めたから、成功体験が忘れられないみたい。

 それに「悪」を倒したのが、それよりもっとヒドい「悪」であることもあるわけで、かつて東欧ヒドイ目にあっているんだから。
 
 実際、オレ自身、超円高のメリットは享受しまくり、英Amazonやらから、ロック系のCDが一枚600円ほどで買えてしまうんで、買いまくったものである。T.Rexのアルバムもティラノサウルス・レックスの時のも含め、コンプリートできたし、デヴィッド・ボウイもコンプリート、ビー・バップ・デラックスもスミスもボックス買い、という荒い買い方。まさに、バブルであった。

 おかげで、本道の昭和歌謡のCD、割高感でほとんど買えなくなってしまった。

 でも、昭和歌謡は手持ちの音源を何度も聴き、ロックがんがんに聴いたおかげで、今では、立派に、PASSPO☆のノリがわかるようになりました。
 な、メリットあったら、デメリットもあるやろ?


 


2014年12月11日木曜日

平成26年12月11日

 壁や庭に手すりつけたり、部屋の塗装替えとか、工事がらみで、あれやこれや。CATVまで、機種変更したりすることになる。

 Facebook、ここがあるんで、あんましつかっていないのだが、むかしの友人らしき方に友だち申請したついで、つい、勢いでまちがえて、友人の友だち欄の方にもしてしまったのだが、なぜか、承認された、ラッキー。人生やっぱ、おっさんよりねえちゃんやで。

 鼻のホクロ取ってほぼ2週間、鼻かんでも痛まなくなったで、中断していたプール、また行くことにした。

 2週間弱、プール中断していたんで、西代のプールの定期の期限が切れている。そいで、ちょっと調べてみたら、海浜公園駅近くにスポーツクラブあったんで、そこへ行くことにした。今までより、ざっと3倍費用になるが、駐車場代とか考えると安上がりなんである。それに歩いて通える位置だし、小学生の頃、谷口という友人が住んでたあたり、遊び場たまり場だったあたり、もちろん様相は面影すらないが。

 今日行って入会してみたら、プールのコース、アホみたいに空いていて、風呂もジャグジーもサウナもついている。
 ただ、泳げる時間帯が決まっている(小学生のクラブが専有することがある)んで、そこんとこ、決まった時間に何やらしようとすると、なぜか、遅刻してしまうジンクスのあるオレにとって、今後どうなるか、わからん。あと、空いているんはいいのだが、今までのプールで顔なじみとなった方々(主にオレより10才以上年上の方々)がおらん、ちゅうんは、ちいとばかし、さびしい。白川の水の清きもいいんだが、県民プールの水の濁り恋しき。まあ、県民プールは安いんで、こっちが休みん時、行けばいいか。

 太平記第二巻、矢作俊彦の新刊、PASSPO☆のニューアルバム、ザ・タイガースの5枚組ボックスが、月初めから届き始め、読み始めたり、聴き始めたりしているが、本もCDも、久々に「大当たり」をひいた感じ。


 

2014年12月2日火曜日

平成26年12月2日

 高倉健に、それに、菅原文太まで亡くなった。東映の新旧スタア。合掌。

 ほくろ取り、先週の土曜日、終わる。形成外科医によるレーザーで20分ほどであった。鼻なんで、つい、つい、触ってしまう。
 抜糸するまでは、プールは休み。

 

 先週だったけ、久々にアイドリング!!!の14thライブ見た。もちろん、動画で。このライブで菊地亜美が卒業する、ちゅうんで、まあ。
 久々なのか、なぜか、凄く、懐かしく、感じた。日頃、昭和歌謡、GS,60年代ロック聴いている人間が、である。不思議である。

 遠藤舞がおらんようになってから、アイドリング!!!の歌関係、急速に興味を失っていた。やっぱ、遠藤舞の声が好きだったんだろう。まあ、しゃあない。今回は、菊地亜美がほとんど全部に歌メンバーに入っているんで、変な期待を持たせないだけ、よかった。
 実言うと、歌の時の菊地亜美の声は嫌いではないのである。しかし、アイドルグループの歌や歌謡曲やGS聴いといて、歌の上手い下手でガタガタ云うヤツがおるが、歌の上手いグループなら、ウィーン少年合唱団やひばりヶ丘少年少女合唱団でも、聴いときゃエエんである。

 「想いの詩」や「NA・GA・RA」、小泉瑠美(現 長谷川るみ)在籍時のヤツやってたんは、嬉しかった。小泉瑠美のパートは「想いの詩」は関谷真由、「NA・GA・RA」は古橋舞悠がやったが、良かった。やっぱ、Neoは上手いわ。ルックスもええし。ただ、オレには、年齢が若すぎる。現実的にありえないが、手を出したら、犯罪になる年齢層というのは、この初老のおっさん、つい、つい、警戒してしまうのよ。

 そいで、4thライブの「想いの詩」や「NA・GA・RA」聽き、ええのぉ・・・、と感慨にふけって、Youtubeうろちょろしていたら、なんと、アイドリング!!!とPASSPO☆の合体グループが「NA・GA・RA」やってた。今年の夏に行われたTIFのなんちゃららしい。
 安斉奈緒美(フォンチー)、三宅ひとみ(三宅ひとみ)、菊地亜美(ミッシェル未来)と来て、小泉瑠美のパートは岩村捺未・・・まさに、「小泉瑠美」やるには、今のアイドル界でいちばん、最高にピッタシ。

 最近もそうだが、GS(グループ・サウンズ)ばっか聴いてた頃があった。もちろん、ルックスや演奏能力、歌の上手い下手度外視して、「カッコ良さ」だけをキーにたくさんのグループのたくさんの曲を平行して聴いていた。知らないグループの知らない曲、ワクワクしたもんである。

 実は、アイドリング!!!に興味を持ちだした時、ちょっとした野望がオレに芽生えて、今のたくさんのアイドルグループのたくさんの曲、すべて、単に曲の「カッコ良さ」だけをキーに聴いてみたら・・思ってた。GS聴いてたみたいにフツーに、聴いてみたいと思ったのだ。エエ曲は多いと思うからだ。


 ただ、AKB商法の弊害からか、まあ、各アイドルグループ、「囲い込み」が強くて、けっこう、難しい。ファンとなれば、同じCD、平気で10枚100枚買っちゃう世界である。
 
 そういう中、ふらふらイベントとか行ったりすると、ファンの中だけの暗黙のルール、符丁を知らんもんだから、あっという間に、まあ、古手のファンコアなファン、単なるマニアに見つかって、

 「お前は誰だ!?」

 「7つの顔のファンじゃよ。ある時にはパッセン、ある時にはリンガー、ある時にはモノノフ、またある時には虎ガー、ある時にはスパキチ 、またある時には、父兄(エビ中のファンのことらしい)、ある時には、アスタライト。しかしして、その実体は、正義と真実の使徒、藤村大造だ!

 なんぼ多羅尾伴内気取っても・・・ボコられる。

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