2014年8月17日日曜日

ラスタファリアンになろうぜ

 小川で負ける。なんか、小川が復帰し新垣が入り、先発のコマが揃ったな、と思ったのに・・・。

 「軍師官兵衛」。なんか、今夜は、荒木村重(道薫)の愁嘆場。それはそうと、おそらく、黒田官兵衛が一番(二番目は裏関ヶ原)活躍したであろう「秀吉の織田家潰し」の描き方がきわめて、おざなりで、こんな、どーでも、えーことに限って描写が細かい。

 リターン・オブ・スーパー・エイプのAmazon評みてたら、「本当の意味で戦争の抑止力となるのは、核兵器なんかじゃなくってこんな音楽なんじゃないかな。」といわゆる、例によって例のごとく、日本特有の「脳内お花畑」イデオロギーに毒されたことが書いてあった。「戦争の抑止力」があるとするならば、罵声ばっかがなり立てる反原発運動のデモや国会前での反集団的自衛権デモの「抑止力」ぐらいチョロい筈で、もし、反原発運動のデモや国会前でのデモとかで、デモやっている連中に大音量で「リターン・オブ・スーパー・エイプ」をかけたら、デモするのがアホらしくなる筈である。デモ抑止力になるわけだ。

 「反原発運動のデモや国会前でのデモは正しいデモだから」と云うなら、戦争の本質をわかっていない。戦争はいつも正義と正義の殺し合いである。また、数十人規模のデモの抑止力にすらならんのが、どうして、何万人規模の戦争の抑止力となりましょうや。

「本当の意味で戦争の抑止力となるのは、核兵器なんかじゃなくってこんな音楽なんじゃないかな。」・・リー・ペリーの音楽に対して、最大の侮蔑と受け止めておく。核兵器みたいな下賎なものと一緒くたにされてたまるか!!!
 フツーにリー・ペリー聴いたら地球否宇宙をぶっ飛ばさんばかりの、少なくとも核爆発以上のエネルギーを感じることができるというのに。

 こういう、オレのツッコミの無意味さ、わかっている。大人げない。
 ただ、しゃあない、オレはパンクにモロに影響された人間だ。音楽からは音楽以外の嘘や幻想を聴きたくない、音楽だけを集中して聴いていたいだけなのだ。もちろん、レビュアーの方のような「幻想」を抱いて、音楽を聴くのも、もちろん、自由である。

 でも、こうしたレゲエに対する「偏見」(あえて言ってしまう)や妙なイデオロギー化、にどれだけ、単に音楽としてのレゲエが好きなオレが、まどろっこしさ、隔靴掻痒感を、覚えたか、「フェアトレード」のMJBより不味いコーヒー何杯飲まされたことか。

 例えば、フツーにめちゃくちゃカッコいいリズム隊をバックにめちゃくちゃ巧い歌手の唄を、伊東ゆかりや青山ミチの極上の歌謡曲聴くのと同じレベルで聴いて何が悪いというのだろう。「焼けつくせ、燃やしつくせ今夜」であろうと、「起き上がれ、立ち上がれ」であろうと、「グリーン・ジンジャー・フライング」や「ミッチー音頭」聴くみたいに聴いて何が悪いというのだろう?


 オレはずいぶん長い間、レゲエを聴いているんだが、長い間レゲエを聴くコツ、というものがあるとしたら、真っ先に挙げたいのは、こうした「イデオロギー」の排除である。

 音楽はやっぱ、音楽として聴く。

 どうしても、「イデオロギー」にハマりたいのなら、たった一つ、「ラスタファリズム」という超強力で難解な宗教に帰依することである。ヘアスタイルをドレッドにしてマリファナ吸うだけでは、もちろん、ダメで、最低限、系図屋行って、先祖が400年前、アフリカ大陸から奴隷として日本に連れて来られたこと(そういや、信長に仕えたという弥助という黒人はどうなったんだろう?)にしないとあかん。そして、最低3年は、山の中で自給自足の生活をせなアカンが、そこまでやれば、初めて、故エチオピア初代帝王ハイレ・セラシエ一世をジャー・ラスタ・ファーと呼ぶことができるのだ!!!

 ところが、レゲエ聴くやつはなぜか、憲法九条命の旧左翼の政党、それも選挙用に云う「タテマエ」止まり、それも何ら疑問も感じず、レゲエを「イデオロギー的」に語ろうとするから、困る。

 ボブ・マーリィが世界進出に登場した1970年代初頭、挫折したヒッピーが、スコット・マッケンジーや以来のスタアとして歓迎したのはもちろんのこと、60年末徹底的に挫折した新左翼がどっと入り込み、ボブ・マーリィの歌詞から、「第三世界からの革命」を取り出し絶賛した。まあ、レゲエの悲劇があるとしたら、ここ、からであろう。
 そのおかげで、オレはボブ・マーリィをフツーに音楽として聴けるようになるまで、5年はロスした。
 

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