父親がとうとう仕事を終わることになり、バタバタするかと思いきや、半年前から、引き継ぎをする準備を始めていたおかげか、比較的すんなり。まあ、事務処理や経理処理担当法務処理担当の母親はてんてこ舞いしていたが。父親はこの一週間ほど、毎日、花束一杯もろてきてはった。
オレとしては、激務でかなり神経を使いしかもほんま24時間待機が基本のこの仕事、この年齢までよく勤められたと思う。
小学校一年の時に今の場所で父親が始めたんだが、当時は、高度成長まっただ中、今は人通りがまばらで老人が多い町も、当時はなにせ、ぎんぎん働き盛り、とギラギラのその奥さん、やんちゃなそのガキ、その喧噪で町はあふれていた。
家に帰ると、まだ仕事中だったら、嵐の中・・・というよりいきなり洗濯機の中に放り込まれた感じ、とっとと逃げ出さないとこっちまで脱水機にかけられてしまう。しかも、仕事の時間外は一家団欒食事中も深夜早朝連休中もお構いなしに電話がかかってきて、そのたんびに、親父はとんでいった。休日の父親とドライブ何度すっぽかされたことだろう。何度楽しい一家そろっての楽しい食事が電話一本で一変、緊張の場になったことだろう。
それから50年(正確には49年と何ヶ月だが)、親父がその仕事を続けることも恐ろしいことだが、もっともっと、恐ろしいことに、ぎんぎん働き盛り、ギラギラ奥さん、やんちゃなそのガキがやはり50年親父と共に年を重ね、やはり、親父のところへ来ている方々が多いことである。
もちろん、さすがに「ぎんぎん」「ギラギラ」「やんちゃ」という形容詞で飾ることはできない状態になっているが。そいでも、何かあれば、同じように親父のところへ来る。
この少なくない方々の存在が、親父にとって、この年齢になるまで、なんとか仕事を続ける強い心の支えとなったし、言い方が誤解を招くかもしれんが、このことこそが、この仕事の最も「おいしい部分」(いわゆるレイバーオブラブのこと)だったんだろう、と最近になってやっと思うようになった。
しかし、なんとまあ、「しあわせな」父親だろう。
また、この「しあわせな」状態を50年も維持してくれたスタッフの方々には頭が下がる。息子のオレですら付き合いに困ることの多いあの癖の塊のような親父相手に50年も、だ。ひたすら、手をあわせるのみである。(「しあわせ」はこの仕事では禁忌にあたるが、どうしても使いたかった)
オレなんか、最もその職業に先天的に不適格に生まれた上、しかも、不適格になるように不適格になるように、生きてきたので、その仕事に就くこと、つまり、跡を継ぐことは無かったが、ちょびっとだけ、そう、ほんのちょびっとだけ、羨ましいと思う。