ようやっと、首相が靖国参拝。ほっとした。
あれやこれや云うんは別にかまへんとおもう。ただ、あれやこれや云う人のあれやこれや聴いていると、今の日本の利益のため、或いは半島と大陸の国が怒るから、日本の戦争のため死んでいった方々を放ったらかしにしとれ、忘れてしまえ、風化させてしまえ、としか聴こえない。そして、オレはそんな変てこな国に税金払いたくない。
また、A級戦犯どうのこうのも、既に執行された「死刑」加えて、死後、新たな「刑罰」を与えるような気がしてなんか、不愉快である。極刑以上にあらためて、どんな刑を加えることができるというのだろう。一億歩譲ってあるとしたって、今の平和な時代に生きる世界中の誰にもその権利がある筈はない。
そいと、根本的な問題だが、靖国神社とは云え、他の神社仏閣と同じく、物理的に云えば単なる木造建築物でしかない。主に「木」である。あたりまえだが、どこをどう探しても、物体としての「ご英霊」はいない。ただ、そこにおられるということを信じている人の心にのみに、存在するだけ、である。そして、その「心」は誰も触れることはできない。
ところが、どうも、批判する人(日本国内)の話を聴いておれば、どうも参拝すれば、あたかも、何万何十万の「英霊」がふっと降りてきて、もしくは、靖国神社の奥の奥に、A級戦犯の方々がまだ生きたまんま潜んでおられて、「安倍ちゃんようきたな、そしたら、今から軍国主義のレッスンしたろ」ちゅう超常現象を信じきってるように思える。つまり、靖国神社に祀られる神道的な条件は、信じきっているわけで、そこに大きな矛盾を感じ、もひとつ、ぴんと来ない、
単に、靖国神社参拝=軍国主義という、三歳児レベルの等式をみるだけなのだ。参拝しなかったら、ましてや、参拝しないだけで、平和になるという根拠など、その等式のどこにも見いだせない。戦争が好きなサヨクもおれば、戦争がキライな右翼もおるのである。
それより、単なる木造建築物に過ぎない靖国神社のどこかに「ご英霊」がおられるということを、心の底より信じている一人の日本人が「ご英霊」とかわした「不戦の誓い」は信じられるのである。
安倍 晋三: "日本のために尊い命を犠牲にされたご英霊に対し、尊崇の念を表し、御霊安らかなれとご冥福をお祈り致しました。
同時に、戦争で亡くなられ、靖国神社に合祀されない国内、諸外国の人々を慰霊する鎮霊社にも、参拝いたしました。
二度と人々が戦争の惨禍に苦しむことが無い時代をつくる、との決意を込めて、不戦の誓いをいたしました。"