2010年11月28日日曜日

「ほたえな」の無い竜馬暗殺なんて

 岡村隆史復帰。もう、40になっているのか。そりゃ、シンドイだろうな。
 海老蔵事件、イロイロ云われているが、海老蔵こそが今の「カブキ者」かもしれん。いや、現在のリアル「カブキ者」の被害者か。どっちにしろ、死んだ芸術になってしもた「歌舞伎」にちょっとは刺激に・・・ならんだろうな。

 ああ今年ももう終わりか・・。
 龍馬伝最終回。
 なるほどなるほどなるほど。
 最終回にして、ようやっとわかった。

 まあ、オレの持つ坂本龍馬に関してのパブリックイメージ(個人が持つのにどこがパブリックか、ちゅうのは置いとく)というのは、司馬遼太郎に植えつけられたもんで、そもそも、司馬遼太郎が「竜馬がゆく」ではなく、「慎太郎がゆく」 を書いとったら、今頃は、中岡慎太郎こそが英雄視され、幕末のスタア人気投票ナンバーワンだったワケで、かなり司馬遼太郎の「創作上の人物」と云っていいほどの存在である。あえて、その司馬遼太郎の龍馬像を否定し、史実からいうと、そもそも、幕末から明治維新にかけて、「脇役」でしかない坂本龍馬をこの龍馬伝では、ムリヤリ維新動乱時の「主役」扱いするとこにすべての問題があるわけである。


 今日の放送では、ついにGHQに与えたれた「戦後民主主義」のコンセプトを説くという芸当までさせられていた。これ以上長生きしたら、そのうち、今の憲法の九条まで説いてまわる勢いである。坂本龍馬は幕末の鳩山由紀か菅直人か?、ちゅうもんである。
 「今」の感覚で過去を描くのは反則であるが、まあ、それがNHK大河だからしゃあないのであるが、そいでも・・それならそれで、かつての「新選組!」(坂本龍馬と近藤勇土方歳三は一緒に黒船来航を見て、以降も仲良しだったのだ!)ほどの割り切りもない。また、NHK大河の歴史からゆうて、織田信長豊臣秀吉徳川家康前田利家から上杉謙信直江兼続源頼朝義経、ついには足利尊氏近藤勇天璋院篤姫に至るまでNHK大河ドラマの主人公になった瞬間、みんな日本の「平和」を心からねがっていたというハンディも今回の坂本龍馬は当然、課せられているのである。

 だいたい、

 勝海舟を暗殺するつもりで会いに行って、 イキナリ、龍馬が勝海舟に「弟子にしてください」と頭を下げて勝海舟を殺す気マンマンの千葉道場のセガレの殺る気を削ぐシーン

 やら

  近江屋事件の前後あたり、新選組が最も調子づいていた時、バッタリ、新選組と出くわしたものの、そばにいた子犬を抱き上げ、頬ずりしながら、あっけをとられポカンとしてしまった新選組一行の、堂々と正面から通り過ぎるシーン

 とか、

 寺田屋で襲われたとき、風呂に入っていたおりょうが「真っ裸のまま」階段を駆け上がり、二階の龍馬に知らせに行くシーン
 
 とか。

 オレが、思わず、「カッチいい!}とシビレてしまった定番のシーンが今回ことごとく排除され、今の内閣の人間を連想させるような、やたら長くクドクドしい中身があんましない言葉をベチャベチャしゃべり、そのうち、感極まって大声で泣き始めたりする、反「司馬遼太郎の竜馬像」 で終始した。龍馬を「心の良い凄い人物」に書こうとして、やたら、岩崎弥太郎をはじめ周りの人間に彼を持ち上げさせるとこが多かったが、むしろ、いやらしさを感じてしまった。

 云うてみたら、この龍馬伝の龍馬は今の日本の基礎を作った人物、それこそ、木戸孝允西郷隆盛大久保利通勝海舟徳川慶喜ら真の幕末の主人公達と並び称される人物として描こうとしているが、司馬遼太郎史観にどっぷりのオレからしてみたら、むしろ、明治維新以降の今の日本とはまったく別の「もう一つの日本」を夢想した人物、としての魅力の方がバカでかいのである。今の日本の礎を築く栄誉、程度の低いレベルで満足してもらったら困るのであーる。

 本当のこというと、坂本龍馬は早死し、なおかつ維新後、ずっと忘れ去られ、日露戦争あたりになって、明治皇后の夢枕に立ちようやく思い出されたような人物なので、いくらでも、でっち上げることのできる人物なので、ドラマを創った俳優から脚本監督全員の、イメージ想像力がそのまま現れてしまうワケで、「龍馬のかっこよささ」の表現がこうも貧困でありきたりで「今」を一歩も抜け出ないものであるとガッカリしてしまうのである。かつてのあまたあるフィクションの坂本龍馬が持っていた「今」すらをも、軽く飛び越えてしまう「何か」は、今回、大河で、せっかく、新しく「坂本龍馬」を描くのなら、いや描くチャンスをもらったなら、その「何か」はなんだったのか、にチャレンジする「志」が欲しかった。


 これじゃ、長生きして明治維新を迎えたとしても、二流の岩崎弥太郎になったり、薩長から排除され、二流の江藤新平あたりになったり、二流の板垣退助(そういや、乾退助、今回出ていたのであろうか)になってたり、が、オチである。龍馬が以降も長生きしたら、明治政府のかわりに、イキナリ、「戦後日本」が始まった、なんて、貧弱なオチも要らん。
 そうじゃないだろう、そうじゃないだろう、と思うが、まあ、それが、人気投票永遠のナンバー2福山雅治が演ずるところの「今」の坂本龍馬像であるのである。
 

 最後、やっぱり、謎の市川亀治郎一行が近江屋に押し入り、あの相撲取りが龍馬たちに知らせようと階段を駆け上ろうとしたら、龍馬に「ほたえな」と怒鳴られ、バッサリ斬られて死んじゃうシーンぐらいは、司馬遼太郎遺族の方々に原作料払っても入れて欲しかった。
 次は上野樹里が主演か。のだめみたいなお江ならウレシイが、そうじゃなくても、ファンである上野樹里、ファンである宮沢りえ、ファンである水川あさみとか抑えるべきとこはちゃんと押さえとるがな。うん、NHKも考える人は考えとる。今度は全部見ようっと。
 まあ、イロイロ文句云うたけど、福山雅治という「男」が主演してたから、だけかもしれん。 むさ苦しい男同士のあれやこれやは、シンドかった。

 

2010年11月23日火曜日

アナログの深み

  今の政権時に限って、半島でなにやら。村山政権の時、阪神大震災にあって、エライ目にあった人間としては、これ以上変なこと、つまり、管政権にとって、「応用問題」にあたるような出来事は起きないで欲しい。ついこの間も難易度からいうと、九九の三の段程度の尖閣ビデオ問題ができんと、後ろに立たされたばっかである。まあ、小学校一年生にしても、出来がよいとは云えない今の政権にとって、九九の三の段以上の難しい問題にチャレンジさせるのは、酷というものである。居残り授業してもいいから、しっかり、三の段を覚える時期である。法相みたいに三の段ができたからちゅうて、調子にのったら、アカン。
 変な事、いや、いっそのこと起きて、日本全体をうっすらと覆っている「憲法九条」教の信者たちが悔い改め、目の前の現実に戻ってくるなら、エエかもしれんが。ともかく、世界中は高校か大学レベルの問題で盛りあがっている時に、日本だけが、九九で止まっているのは、忸怩たるものあるが、まあ、しゃあない。今までが良すぎた。いっそ、おちるとこまで、おちていけ、の気分である。落ちたところから這い上がるちゅうのも、しゃあない。ま、そうこうしているうちに、小泉進次郎君が育ってくれるだろう。
 

 アナログ・レコードのiTunes化というか、いわゆるデジタル化ちゅうの、最近、鋭意やっとるワケであるが。
 けっこう、これが。
 まあ、今は、一応、
 SL-1200MK2 -> WavioSE-U55SX −>Mac −>Logic Expressで取り込みバウンスしてItunesに放り込む
 というのをやっているのである。
 ただ、やはり、一番、音がきになるのが、取り込む前の音、つまり、レコードの音が気になってくる。最初は素直にSHUREのM44Gやらピッカリングの625DJSという、オレの手持ちのカートリッジを、針交換とリード線交換する程度で使っていたのだが、聴いているうちに、どうも、なんとなく、違う。そいで、手持ちのMCカートリッジ(これも、15年前買ったヤツ)で聴いたら、にゅたぁあとした米国製カートリッジの音とは異なり、何故か国産のクセにカラっとビンビンに響くわけである。ビンビンはイイのだが、これでiTunesに持ってきて、何度も聴いていると、聴き疲れがしてしまう。音そのものはエエのだが。
 シュアのM44GとデンオンDL302(オレの持っていたMCカートリッジね)の中間ぐらいの音出すカートリッジはないか、と思った時が、恐らく、ターニングポイントであっただろう。
 泥沼がはじまった。
 米国のAmazonからSHUREのM97Xとかaudio-technicaのDJ用AT-DS3とかも試してみたが、やっぱし、もうひとつ。  
 
  そいで、今日、商大跡地あたりに新しくできた(昔からあったかもしれんが、つい最近ハッケンしたもんで)ハードオフのジャンク品の中に840円のパイオニアのカートリッジ、優に10年以上昔のもので、型番すら判別不能のヤツなのだが、ダメもとでかけてみたら、こ、これが、しっくり聴けるのだ。音の良さうんぬんは正直ようわからんところが多く、実際、ようわけわからんが、オレのように、一曲をそのまま、かなり繰り返して聴くというタイプにとり、繰り返して聴いても、疲れることなく、「ここんとこ、もうちょい、低音効いてくれへんかなぁ」とか煩悩が出てくることが少なく、さっぱりした音で、ちょうどエエ音加減なのである。そいと、レコードのスクラッチノイズも拾うことは拾うのだが、それも、さほど、耳に障る音ではない。
 

 パイオニアのカートリッジ、型番もかいてないぐらいだから、多分、プレーヤーとかに付属していたヤツだと思うが、当時の日本のオーディオの底力をあらためて、認識した次第である。まあ、当時は、オーディオブームとかもあり、日本の家電メーカほぼ全部が毎月毎月、新製品作っては、音の良さが、あーだ、こーだ云うてた時代で、あ、今も3D,3D云うているか。
 

2010年11月17日水曜日

ビートルズがiTunes Music Storeにやってきた、(一応)ヤァヤァヤァ

 ビートルズがiTunes Music Storeにやってきた。 となると、後ろに「やぁやぁやぁ」、をくっつけたいところだが、中国の首相とすれ違った卑屈な菅直人みたいで、困る。政治の貧困はこうしたところまで影響を与えるのである。

 まあ、オレみたいに、今では、もう下手すりゃ、アンチファンみたいなヤツでも、 喜ばしい。苦労の甲斐あって、今やオレの音楽環境で、LP、いな、アナログ・レコード、いな、「ヴァイナル」(って、今は黒いレコードのことを云うらしい)で聴くことができるので、iTunesやCDで買ったりすることはないけど、なんちゅうのか、安心感みたいなものがある。オレみたいなアンチファンでも、ある時ある瞬間、ビートルズのある曲が無性に聴きたくなるのが数年に一度ぐらいあることだし。


 ビートルズの音楽そのものがキライなワケじゃなく、ビートルズファンやマニヤの方々が怖いのである。 中学時代以来、不用意にビートルズの何々がエエのぅ、とつぶやいたら最後、友人の長々としたビートルズに関する難解極まりない講釈が始まり、一言も口をはさめないまま、数分後には、人格が完璧なまで打ちのめされる目には何度もあってるのだ。ビートルズファン(マニヤ)というのは、オレみたいな上っ面のミーハーの存在をけして許してくれないのだ。そのくせ、いつまでも、世界で一番人気がないとアカンという矛盾した存在なのであーる。

 また、オレより10コ上の、団塊世代の方々やそのフォロワーの若い方々の中には、マルクス、レーニン、毛沢東と続く「ある流れ」の先に、ビートルズもしくはジョン・レノン置いているような方々もたくさんおられ、その方たちは、音楽で世の中を変えることができるとかたくなに信じている、と風のウワサにきく。
 つい先だても、ビートルズはモノラール録音で聴かなアカン、と力説された記述をAmazonで見つけ、中学時代以来のビートルズファン(マニヤ)のテイストを味わったところであーる。
 
 記念の「1964年2月11日のワシントン・コロシアム コンサートのビデオ完全版」というのを見て、23,000円のThe Beatles Box Setを「全曲プレビュー」(各曲頭の30秒だけ無料で聴けるやつね)しとるところであーる。I Saw Her Standing Thereから30秒単位で、ぶっ通しに聴いている。こういうミーハーでセコい楽しみ方ができるのも、オレぐらいなもんであろう。今、サージェント・ペパーズまできたところだ。ここまで来たら、もう、最後まで行きたいが、眠さも襲ってきている。さて、「全曲プレビュー」できるだろうか。

2010年11月13日土曜日

心の痛み/朱里エイコ

 女子バレー、ブラジルに惜しかった。でも、まあ、ようやっと、ロシアとアメリカ、ブラジルといった、ワシらが知ってた頃の強い日本の女子バレーのホンマの「ライバル」国を相手にできるようになって、エラい。 あとはX攻撃の完成を待つばかりである。

 昨日の朝、青キップ切られてしもた。朝の混雑した千守の交差点で、黄色で交差点進入したと思ったが、もう赤になっとったらしく、その瞬間、ぴゅーっとどこからともかくパトカーが来た。おかげで、生まれて初めて、ハイブリッドカーに乗せてもらえた。税金納付の月に反則金9,000円は痛いが。


 このところ、アナログばっか聴いとる(ついにMCフォノアンプ買うてしもうたがな)聴くついでに、LogicExpressで96の24で取り込んで、MacのiTunesに入れて、という作業をしようと思っているのだが、まだまだ、試行錯誤の連続で、時間ばっかかかって、ようやっと納得いく音でiTunesに持ってこれたと思った時には、一曲なのに小一時間は経っとるという次第。曲の頭出しが難しい、というレベルであるが。それよりなにより、アナログで聴くと、ホッとするというのかなんなのか、そうしたヤヤコシイ作業面倒くさくなって、そのまま、レコードを何度も聴いたりしとる。

 それにCDではそんなことなかった曲がアナログで聴いたら、凄かった、というのが多々あり、例えば、朱里エイコの「心の痛み」(昭和47年作詞山上路夫作曲鈴木邦彦)という曲なんか、途中、朱里エイコの声が、あまりにもの感情移入に、ついにはピークメーター振り切りまくり、ついには声が「歪む」とこまで行くという凄まじさを感じさせるとてつもない曲、というのがわかったりした(YouTubeでみつけた下もアナログベースだから、1;15−20、2;50−55あたりの凄まじさを体験できるであろう)。



2010年11月6日土曜日

11月6日

 なんか、朝日とか神戸新聞観ていると、例のビデオが公開されて、中国がどういう反応しとるか、ばっか、気にしとる。あと、政府は犯人探しがどうのこうの、と。なんかもう・・・。
 しかし、こういうのには、メチャクチャ弱い。


  http://www.nicovideo.jp/watch/sm12663809

 

2010年11月2日火曜日

グレゴリー・アイザックス逝く

 日本シリーズ、ちょっと観るが、中日、あっさりしすぎ。ロッテ応援団凄い。
 レゲエ界ではまたもや、大物シンガー、グレゴリー・アイザックスが亡くなっている。享年59才。三波春夫ばりの大物でもちろん日本にも何度も訪れ、ワシら初期ダンスホールファンにも馴染み深いシンガーである。この前のシュガー・マイノットの死といい、続く。時代が変わっていくのだろうか。まあ、しかし、ほんま、アナログ、聴けるようにしていて良かった。

とりあえず、一番好きな曲をYouTubeから。おそらく、世界一スケベに歌うシンガーであった。

最初は多分、映画「ロッカーズ」での「スレイブ・マスター」あたりだったかな。

ナイトナースに治療してもらいたくなってきたので、寝ます(ナイトナース検索したら、Simply Redやマリアンヌ・フェイスフルまでカヴァーしているみたい・・カヴァーかどうかは未確認)Oh the pain is getting worseの部分、違って聞こえ、モロやなあ、と思ってたのも今は昔。

2010年11月1日月曜日

あらためて、Yardbirds、聴く

 この前、CDやiTunes Music Storeでそろえたヤードバーズ、聴いて、ブログにも不満を書いているが、ようやっと、聴きたかった「Live Yardbirds Featuring Jimmy Page」をアナログで聴いて、満足した。ともかく、何年もほったらかしにしていたため、レコードの保管状態は最悪なのだが、奇跡的にこのアルバムはレコードに変なゆがみも溝にこびりついたホコリも少なく、きれいに残っていた。どうせ、正規盤ではないのだろうが、今となってはようわからん。
 (ヤードバーズって何?という方は、wikiで http://ja.wikipedia.org/wiki/ヤードバーズ

 まあ、このアルバム、1968年の発売直後、Jimmy Pageが必死になって回収したというぐらい、イロイロ問題があったようだが、なにせ、後追いでオレが聴いたのがパンク全盛期70年代後半、しかも、ハードロック大キライなオレのことだ、聴いた瞬間、なぜか、めっちゃくちゃカッコ良く聞こえたわけだ。最初のトレイン・ケプト・ローリンから、もうノリノリである。
 録音状態のせいかどうか知らんが、ノイズも歓声(闘牛場の歓声を無理矢理くっつけたらしい)も各楽器の演奏もヤケクソで、やけっぱちなキース・レルフのヴォーカルもいっしょくたになって、音の塊となって、ほとんど、切れ目無く、ぶっ続いていくのは、やはり、快感で、当時、90分カセット片面にアルバム全部放り込んで、ぶっ通しで良く聴いたものである。
 
 ヤードバーズ、ちゅうのは、なにせ、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジが続け様にギタリストしてたため(ジェフ・ベックとジミー・ペイジが重なって在籍してたこともある)過大に評価されているが、オレとしては、数曲好きな曲があるだけで、アルバムはヒット曲の寄せ集めとライブが殆どだし、そんな大したことはないと思っている。けど、このライブアルバムは大好きである。キース・レルフのヴォーカルとロバート・プラントを比較することがすべての間違いの始まりであろう。

バンドはイギリスでの人気は落ち目であった。しかし海外ではまだ需要があったため、アメリカやヨーロッパ各国を回るツアー三昧の日々が続いた。ライブ演奏を楽しんでいたペイジをよそに、他のメンバー達は意欲を失いつつあった。レコード・セッションにも参加せず(させてもらえなかった?)、マッカーティはドラッグ漬けで時折演奏不能に陥ったり、元々低めな声のレルフは、ラウドになってゆくバンドのサウンドに付いて行けず声が破綻寸前だった。解散後に発表されたライブ盤『LIVE YARDBIRDS FEATURING JIMMY PAGE』は、そんな状況をしっかりと刻んでいる(後のレッド・ツェッペリンの初期のナンバー『Dazed And Confused』も歌詞以外ほぼ同じに演奏されている)。

[From ヤードバーズ - Wikipedia]

米国盤のCDが出ている。


"Live Yardbirds! Featuring Jimmy Page" (The Yardbirds)

LIVE YARDBIRDS FEATURING JIMMY PAGE(1971年、1976年)
1968年5月、ニューヨークで行われた解散間際のライブ音源。ペイジの意向で発売後10日間程で回収されたいわく付きのアルバム。ペイジの発言によると、ライブ当日のエンジニアは「エレクトロニクスを使えば何でもできる」と言い、ドラムセットの上にマイクを吊るなど目茶苦茶なセッティングを施されたという。そのため、バスドラムの音が聞き取りにくくなってしまっている。更には演出のため、闘牛場の歓声を故意にミックスされている。本作は、ブートレグが多く出回った。ブートレグであるにも拘らず、元メンバーのインタビューがライナーに掲載されたこともあるという。また1976年には、コロムビア・レコードから本作の会員向け限定盤が配布されている。

[From ヤードバーズ - Wikipedia]

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