愛犬が死んだ。享年は不明である。2年前のちょうど今頃の三月、広島で「はぐれ犬」として保護された犬が、様々なそうした犬を助けようとする方々から回りまわって飼うことになったのである。享年はだから不明であるが、来たときは7歳という見立てであったが、年齢はもっといっていたのではないか。あるいは、放浪中、或いは、保健所での苦労は、その分、かなりのストレスとなっている筈で、年齢以上に弱っていたのかもしれない。また、知らない土地で知らない人間とまた新たに暮らす、ということも。
というわけで、たった二年のつきあいだったが、まあ、この喪失感はなんとも言えん。子犬の時から飼っていた今までの犬との別れとなんら変わることない悲しみである。
たぶん人生(犬生)苦労しまくった筈の犬だったが、高度な(ひょっとしたら元盲導犬という説も出たほどの)しつけがきちんとなされており、少々頑固なとこもあったもののおとなしい犬であった。苦労しているのか、馴染みも速かった。
散歩中、他の犬から犬からはよく色目を使われても、それを無視するかのように、しゃなりしゃなりと気取って歩いていた。で、思わず、テンプターズの「気取ったあの娘」を口ずさんだものである。
あと、この数カ月、徐々に具合が悪くなっていたのであるが、時折、すがりつくような眼で何かを訴えていたりしたのだが、それが充分理解できなかったのが悔しいところである。ちゅうことで、こんなとき、ダイナマイツの「恋はもうたくさん」を思い出して、刹那く思ったものである。
昨年夏ごろから、日和見感染ちゅうやつで皮膚を患い、以降、徐々に弱っていき、今日を迎えたのであるが、それでも「犬はもうたくさん」、とは、思えないのが、哀しい。合掌、あばよ、ダチ公。