2010年5月20日木曜日
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阪神大震災のとき、何が起きてたか理解するのに半日かかりなーんも手を打てなかった村山首相以来の失態である。口蹄疫ほったらかして、中南米に外遊するなら、そのまま、外遊ついでに、中南米のどこぞに亡命してきたら良かったのに。民主党の一部の人とあっち方面の人が理想としている国コスタリカとか(キューバはアカン。あんたの苦手な米軍基地ある)。
あとは保身の為の空疎な長々とした言い訳と膨大なバラマキ、その間、いたずらにどんどん増える犠牲か。やりきれん。物質同様に扱う欧米と異なり、家族同然或いはそれ以上に手塩をかけて育ててきた豚や牛を処分する方々の痛みぐらい、せめてわかってあげて欲しいものである。無茶云うたらアカンな。わかろうとする努力だけでもいい。
2010年5月19日水曜日
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最近は、(東京ヤクルトスワローズが負けても)あんまし腹が立たず、気分は「諸行無常」ちゅう感じ?
もうスポーツニュース観るきしないので、NHKに変えると「SONGS」やってたのが、松田聖子が凄かった。歌手としては、声が好きでもなかったし、これからも好きにはならないだろうが、クロスワードパズルみたいに凝りまくった大滝詠一やら呉田軽穂の一連のああした曲を、今も、軽々唄っとった。もう、この年になると出なくなったりする音がある筈なのだが、全然そうしたことを感じさせず、簡単に歌いこなし、容姿の過剰なギラギラ感も伴って、不思議な迫力みたいなもんを感じた。
2010年5月17日月曜日
上村かをるの「星くず」
2010年5月13日木曜日
2010/05/13
何が、温暖化じゃ?5月に風邪引くほどの寒さのどこが温暖化ちゅうんじゃ。責任者でてこい。でないと、フツーのゴミの日にペットボトル入れたるぞ・・・と荒れていますが。原因はまあ、賢明なみなさん、お察しくださいな。
野球やっている時間、これから読書と音楽鑑賞に費やすことにします。高田カントクちゅうのは、似たようなタイプの選手集めるのが好きみたいな気がする。今、ホーナーが欲しい。
2010年5月6日木曜日
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寒い。ことによると氷河期が来たみたい。 厚い厚い氷の奥底に閉じ込められる前に、なんとか、5位とゲーム差のない今のうちになんとか、這い上がって欲しいものです(なんのことかさっぱりわからない人はそのままにしときます)。
2010年5月2日日曜日
ツバメの季節到来の筈が・・・
2010年4月25日日曜日
ヤフーズバリ予想 ヨソボ、40から0の魔のサイクルにはまる
・・・・・・・・・(このブログで主語はおろか、文章すらないときは、東京ヤクルトスワローズがらみで非常に残念な思いをしとると、理解していただきたい)。
今日は寒かったが晴れていたので、クルマで淡河あたりまで。なんか、山道なのに自転車がやたら多かった。
2010年4月23日金曜日
三島由紀夫・新潮文庫「サド公爵夫人・我が友ヒットラー」
勝つときはあっさり勝つ。あっさり過ぎ・・・ちゅう気もせんではないが。久々の悦び。これで、競り合いに強くなればなあ。
最近、三島由紀夫に傾倒しとる。フツーなら「ハマっている」と書くところだが、やっぱ、オレも人の子、ちょっと文学的に気取ってみたいのであーる。云うても、「金閣寺」や「仮面の告白」或いは「豊饒の海」とか三島由紀夫三島由紀夫したヤツはさすがにしんどい。三島由紀夫ちゅうても、俗な部分、フツーの女性週刊誌に連載していた作品群とかもあり、それはそんなに重くもなく、文章もいちいち辞書引張らなあかんかったり、使ってある単語ひとつひとつから思いクソ想像力膨らまさんとあかんかったり、或いは読後数日は、三島由紀夫モードになり、生まれた直後の記憶を必死にたどろうとしたり、ライターの火をみつめて、発情せなあかん、とか思ったりせなあかんかったりする必要はない。
安部譲二つながりで「不思議な彼」(ご存知のとおり、作家安部譲二氏が若い頃がモデルの小説)を読んだら、すんなり読めて、調子にノってしもた。
あと、短編集で、「憂国」読んだら、最高級のポルノであったので、調子づいた。おもろい! あと同じ短編集に載ってた「卵」という作品にはガツーンといかれた。ショートショートやん。百万円煎餅、
ワシら世代は小学生六年生に三島由紀夫のあの事件があり、もう、それはそれはかなり偏見を持っておったのだ。ど右翼の狂人、という感じである。まあ、しゃああない、小学生である。それに悪いことに当時は朝日新聞ようやっと読めるようになっていた。
それに題名が題名なヤツが多い。例えばこんなふうに・・・・
・憂国 もちろん。右翼礼賛小説
・我が友ヒットラー もちろん、ヒットラー賛美小説 (戯曲であるがもちろん、そこまで知らんかった)
というふうに読みもしないのに勝手に題名から連想して思ってた。 私設軍隊を持ってた人なのである。
後世の紹介記事とかでも、褌一丁のモノクロの写真とかが必ず一緒に乗ってたから、多分、雑誌で言うと「さぶ」とかの世界の人とも思ってた。
さて、ちょっと前、「我が友ヒットラー」読んだ。
おもしろかった。
どこが、ヒットラー礼賛だ。ヒトラーというだけで、拒否反応おこしたらアカンかった。1945年までのホンマの国家単位の狂気の布石が打たれた、1934年夏の事件をわかりやすく説明してある。登場人物のキャラ立ての上手さはもちろん、言うまでもなくスバラしい。
「政治的法則として、全体主義体制確立のためには、ある時点で、国民の目をいったん「中道政治」の幻で瞞着しなければならない。それがヒットラーにとっての1934年夏だったのであるが、そのためには極右と極左を強引に切り捨てなければならない。そうしなければ中道政治の幻は説得力を持たないのである。」(三島由紀夫・新潮文庫「サド公爵夫人・我が友ヒットラー」P・232「自作解題 作品の背景我が友ヒットラー」より引用)
極右のレーム、極左のシュトラッサー、それをたった一晩で粛清してしまうのであるが、シュトラッサーの狡智さをはねのけるレームの忠犬ハチ公的心情が泣かせる。
おもしろかった。
でね、以下は妄想なので、真に受けてもらっても、困るし、野暮だからやめてほしいのだが、でね、「極右と極左を粛清して「中道」で全体主義体制を確立する」、なのだが、ふと、60年代後期の我が国にあてはめてみると、極左は1969年1月の安田講堂落城(いやむしろ、衝撃の度合いから1972年のあさま山荘事件か?)で、そいで、極右は、他の誰でもない1970年の三島由紀夫のあの事件で、ワシら一般ピープルの意識から除外されたわけで、ヒトラーのように自らの手を汚さずとも、当時のウチの国はそれぞれが勝手に消えていったわけで、やっぱ、なんかわらからんがある種の「全体主義体制」が確立してしもたのではないだろうか? でね、最近、そのウチの国独自の「全体主義体制」が崩れ、格差が生じ、みんな派遣切りはアカンとか 貧困化とか云うて慌てているのではないだろうか????、と穿ってみる今日この頃。
でねでね、せっかく壊れかけているのに、また新しい「全体主義体制」作ったりしたら、イヤや。
2010年4月22日木曜日
シチュアシオニスト
うーん(尚、このブログで主語述語目的語省略したときは、東京ヤクルトスワローズがふがいない負け方をした、と察して欲しい、まあ)。
朝日の夕刊にマルコム・マクラーレンの追悼の記事が出ており、マルコム・マクラーレンが亡くなったことを知る。記事そのものは朝日新聞で大学教授がいかにも書きそうなことを書いてあったので、妙に納得してしまう。遅れてきた シチュオニスト(なんやねん?)だったんかもしれんがどうだって良く、ピストルズのマネージャであったことすらどうだって良く、1983年という年に、超名盤「DUCK ROCK」を出したことに触れないと、追悼記事にもなんにもならない。
だいたい、LP、買うてきて、針落として、音出した途端、びっくらこいた、たまげた、腰抜かした、ちゅうアルバムは、この「DUCK ROCK」と、あとパブリック・イメージ・リミテッドのファーストとCDになってからは、大原麗子の「ピーッコック・ベイビー」しかない。「DUCK ROCK」は、まさに誤解にせ浅はかな理解にせよ、「ヒップホップ」ってなにかわかったし、それよりなにより「音楽ができんでも音楽ができる」と思たわけだ。
今から思うと、パンクからの数年は、次から次へと新しいもんが、出てきたというより、どんどん、「ロック」というか「ワシらが聴く音楽」ちゅうもんの定義がどんどん拡がっていった、拡げていったわけで、他ジャンルへの「補助線」みたいな親切な音楽がどんどん出てきて、オレみたいにロックでは楽器がひけずすぐ話題についていけず、ディスコ行っても音楽よりもおねえさま方の挙動にしか頭が働かない人間でも、ちょっとパンクがカッコエエと思ってたら、いつのまにかいろんなジャンルの音楽を自然に聴けておったというわけである。
だいたい、たとえば、今、あらたに、ヒップホップ全然知らんヤツがヒップホップを聴きたい思ったら、どれだけの学習をして、 どれだけ金かけてファッションあわせて、知ったかぶりの溢れる中どれだけ淋しい淋しい思いせなあかんか?甲子園で東京ヤクルトスワローズの応援するようなもんやで。もう、「ジャンル」の垣根が高く厚い壁みたいになっとる。
たかが、音楽。
そいで、久々に、DUCK ROCKでも聴いたろと思い、オレのiTunes探してみたらなく、多分、CDは持ってたはずだから、探せばどこぞにあるんだろうが、面倒くさいんで、自然に出てくるのを待つことにする。
春だからP.I.L.
うーん、石川勝てないなぁ。惜しかったんだけどね。くさらず頑張ってほしいものだ。まあ、そのうち、「風」が変わったら、バカ勝ちしまくることでしょう(石川いうても石川遼じゃなく東京ヤクルトスワローズの石川雅規のことである、あたりまえだが)。
前回に引き続き、「フィル・スペクターを めぐる」なんちゃら、とかしようと思っていたのだが、なぜか、突然、パブリック・イメージ・リミテッド聴きたくなって・・・「なぜか、突然」と書いたけど、時代はもちろん、ぜんぜん違うが、音的には似とる気がしとる。まあ、フィル・スペクターちゅうのは、おおざっぱに云うて、「ベース音強調イントロ」が肝、ただし、アメリカン・ゴールデンエイジ・どポップ故、ハチミツ煮詰めた感じの甘ったるく甘ったるく仕上げてあるわけだ。オレはアホやから、そんなんばっか聴いとったら、同じ「ベース音ど強調イントロ」でも、乾いた音が聴きたくなったわけだ。キリンラガーばっか飲んどったら、アサヒスーパードライが恋しくなる・・・ちゅう感じか。
そいで、ファーストイシューの「アナリサ」、久々に聴いたら、案の定ハマってしもて、Amazon覗いたら、こんなアルバムとか、
Plastic Box
これは4枚組のベストちゅう感じで(おれが買ったときには2000円ほどだったが、今は4000円弱・・どうなっているのか??)、4枚組のうち、後期収めた2枚は、ムダになりました。
それよりなによりも、メタルボックスのCD版レプリカちゅうのが出てた。アナログのとき、せこいオレは、LP一枚に収めたセカンド・エディションちゅうのを買ってしもてえらい後悔した思い出がある。明らかに「ど低音」の出方があたりまえだが違うのだ。
Metal Box (Vinyl Replica Edition) [Original recording remastered] [Import] [from US]
カッタるい、カッタるい、「ポップトーン」が当時もなぜか今も一番お気に入りになり、ついで「バッドベイビー」、「スワンレイク」なのだが、plastic boxに「デスディスコ」として入っている方を聴いて、余は満足じゃ・・・。