2010年4月23日金曜日

三島由紀夫・新潮文庫「サド公爵夫人・我が友ヒットラー」

 勝つときはあっさり勝つ。あっさり過ぎ・・・ちゅう気もせんではないが。久々の悦び。これで、競り合いに強くなればなあ。

 最近、三島由紀夫に傾倒しとる。フツーなら「ハマっている」と書くところだが、やっぱ、オレも人の子、ちょっと文学的に気取ってみたいのであーる。云うても、「金閣寺」や「仮面の告白」或いは「豊饒の海」とか三島由紀夫三島由紀夫したヤツはさすがにしんどい。三島由紀夫ちゅうても、俗な部分、フツーの女性週刊誌に連載していた作品群とかもあり、それはそんなに重くもなく、文章もいちいち辞書引張らなあかんかったり、使ってある単語ひとつひとつから思いクソ想像力膨らまさんとあかんかったり、或いは読後数日は、三島由紀夫モードになり、生まれた直後の記憶を必死にたどろうとしたり、ライターの火をみつめて、発情せなあかん、とか思ったりせなあかんかったりする必要はない。

 安部譲二つながりで「不思議な彼」(ご存知のとおり、作家安部譲二氏が若い頃がモデルの小説)を読んだら、すんなり読めて、調子にノってしもた。
 あと、短編集で、「憂国」読んだら、最高級のポルノであったので、調子づいた。おもろい! あと同じ短編集に載ってた「卵」という作品にはガツーンといかれた。ショートショートやん。百万円煎餅、
 ワシら世代は小学生六年生に三島由紀夫のあの事件があり、もう、それはそれはかなり偏見を持っておったのだ。ど右翼の狂人、という感じである。まあ、しゃああない、小学生である。それに悪いことに当時は朝日新聞ようやっと読めるようになっていた。
 それに題名が題名なヤツが多い。例えばこんなふうに・・・・

 ・憂国 もちろん。右翼礼賛小説
 ・我が友ヒットラー もちろん、ヒットラー賛美小説 (戯曲であるがもちろん、そこまで知らんかった)

 というふうに読みもしないのに勝手に題名から連想して思ってた。 私設軍隊を持ってた人なのである。
 後世の紹介記事とかでも、褌一丁のモノクロの写真とかが必ず一緒に乗ってたから、多分、雑誌で言うと「さぶ」とかの世界の人とも思ってた。
 さて、ちょっと前、「我が友ヒットラー」読んだ。
 おもしろかった。
 どこが、ヒットラー礼賛だ。ヒトラーというだけで、拒否反応おこしたらアカンかった。1945年までのホンマの国家単位の狂気の布石が打たれた、1934年夏の事件をわかりやすく説明してある。登場人物のキャラ立ての上手さはもちろん、言うまでもなくスバラしい。

 「政治的法則として、全体主義体制確立のためには、ある時点で、国民の目をいったん「中道政治」の幻で瞞着しなければならない。それがヒットラーにとっての1934年夏だったのであるが、そのためには極右と極左を強引に切り捨てなければならない。そうしなければ中道政治の幻は説得力を持たないのである。」(三島由紀夫・新潮文庫「サド公爵夫人・我が友ヒットラー」P・232「自作解題  作品の背景我が友ヒットラー」より引用)
 極右のレーム、極左のシュトラッサー、それをたった一晩で粛清してしまうのであるが、シュトラッサーの狡智さをはねのけるレームの忠犬ハチ公的心情が泣かせる。
 おもしろかった。


 でね、以下は妄想なので、真に受けてもらっても、困るし、野暮だからやめてほしいのだが、でね、「極右と極左を粛清して「中道」で全体主義体制を確立する」、なのだが、ふと、60年代後期の我が国にあてはめてみると、極左は1969年1月の安田講堂落城(いやむしろ、衝撃の度合いから1972年のあさま山荘事件か?)で、そいで、極右は、他の誰でもない1970年の三島由紀夫のあの事件で、ワシら一般ピープルの意識から除外されたわけで、ヒトラーのように自らの手を汚さずとも、当時のウチの国はそれぞれが勝手に消えていったわけで、やっぱ、なんかわらからんがある種の「全体主義体制」が確立してしもたのではないだろうか? でね、最近、そのウチの国独自の「全体主義体制」が崩れ、格差が生じ、みんな派遣切りはアカンとか 貧困化とか云うて慌てているのではないだろうか????、と穿ってみる今日この頃。
 でねでね、せっかく壊れかけているのに、また新しい「全体主義体制」作ったりしたら、イヤや。

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