2014年10月30日木曜日

平成26年10月30日

 まあ、阪神タイガース、残念でしたネ。
 それよりなにより、五十嵐亮太、スワローズに戻ってきてくれ。頼む。おねがい。

2014年10月29日水曜日

平成26年10月29日

 しかし、寒いんで、ユニクロのヒートテックでも、強力な、極暖パッチ、サイズXLを履いたら、腰の周り、ぶかぶか。嗚呼、オレはもうデブじゃなかったんである。するってぇっと、なにかい?またもや、冬物、すべて、サイズを変更せなアカンのか。

 このところ、「太平記」を読んでいる。古文ほとんどバカなので、読むのに時間がかかるんは仕方ないが、ようやっと、後醍醐天皇が隠岐に流され、オモロくなってきたなと思った瞬間、呉王夫差、越王勾践、范蠡、西施の中国春秋時代の世界になってしもうて、それまで、数ページ読んでは熟睡だったのが、数行読んでは熟睡の世界になってしもうた。そいで、ようやっと、その世界を抜けたのであるが、(つまり、北条幕府は後醍醐天皇を隠岐に流すという中途半端なことせずに・・・)ということを云いたいのだろうか、と畏れ多くも畏くも、つい、つい、思ってしまった。もし、そうなっていたら、南北朝の混乱は続かなかった筈・・・神戸の育ちなんで、もちろん、基本的に、楠公さんびいき、南朝びいきなんであるが。


 前回、クリームやらの長い曲、聴いて悪口書いてやろうと思いつつも、途中でやんぴした。
 元クリームのジャック・ブルースが亡くなった。

 
元「クリーム」メンバー、ジャック・ブルースさん死去:朝日新聞デジタル: " ジャック・ブルースさん(英ロックバンド・クリームのメンバー)が25日、長い闘病生活の末、英東部サフォークの自宅で死去、71歳。
 1966年にクリームをエリック・クラプトンらと結成し、ボーカルやベースなどを担当、作曲も手がけた。68年の解散までに世界でのアルバム売り上げは約3500万枚に及んだ。(ロンドン=AFP時事)"

 クリーム、あんな音、「が」、というかあんな音、「だからこそ」、か、わからんが、そいとも朝日新聞ソースだから例の捏造かもしれんが、3500万枚も売れたんである。どう考えても、売りすぎだろう。売れすぎだろう。


 オレは、ロック聴きだして、まだ数枚しかレコード持っていない時代、ビートルズ以外のレコードようやっと、興味が出てきた時分、名盤名盤名盤という評判に従って、「クリームの素晴らしき世界」、クソ高い2枚組、買って、ヒドい目にあったことがある。まあ、中学生か高校入りたてあたり、こちらもバカであったが、こんなクソアルバムを「名盤」と言立て、いたいけな中学生に16分もある「Spoonful」や「Toad」、黙ってステレオの前で聴かせようというのは、どう考えても、犯罪であろう(70年代半ばの話です)。

 まあ、だからこそ、1968年、全世界的に学生運動がなぜか、盛り上がったんは、クリームの「68年の解散までに世界でのアルバム売り上げは約3500万枚に及んだ」せいかもしれん。ええもんじゃないもん、むりやり、ええもんと信じ込もうとするとロクな結果にはなりまへん。当時の3500万人、よほど、腹がたったんだろう。

 反論のある方は、「Wheels of fire」の「Toad」を、今すぐ、5回以上聴き直してから、にしてくれ。
 以上をもって故ジャック・ブルース氏への追悼に変えさせていただきます。

2014年10月25日土曜日

レーザー手術決定報告そして、クソ長い曲考察へのささやかな試み

 ワシらヤング、それも、ナウなヤングはもうサッカーに夢中で、明治大正昭和戦前までのスポーツ、野球のことは小学校の頃、近所の老人から聴いたきりで、詳しくわからないんで、申し訳ないが、まだ、この季節、プロ野球をやっていて、ビックリしているところである。
 なんか、ゴールデンタイムに、長々と中継してたんだが、あの縦縞のユニホームが映っていた・・・そんなこと、常識から考えてありえない、そんなこと、あってはならないことである、オレの幻想や白昼夢のたぐいだろうと、思う。きっと、そうに違いない・・・(最下位のチームのファンである、このぐらいの、イヤミぐらい書かせて欲しい)。

 昨日は、PASSPO☆の神戸ライブに行けたら行くつもりであったが、手術前の検診と血液取りと予約があったんで、やんぴ。
 
 鼻の内側に黒くない「ほくろ」ができ、それがこのところのプール通いで、なんか、徐々にデカくなってきて、しかも、鼻毛まで一丁前にその「ほくろ」にも生え、鼻で息をするたんび、ムズムズして気持ち悪い。外から見ると、常時、デカい鼻くそがついている感じで、困る。
 女性はオレより年上の方々が多い、プールではあるが、チャンスは捨てているわけないし、せっかく、最近、プール行ったおかげで腰にくびれができたところだ、デカい鼻くそ常時くっつけている状態では恋の生まれるチャンスが0になってしまう。直しても、まあ、ゼロかもしれん、けど。
 
 レーザー光線、ビーっとやって取るらしい。。
(オレのお世話になる皮膚科では、ほくろ取り一個5000円、ただ、デカいと11000円が相場らしい)


 いやはや、ともかく、来月、まあ、生まれて初めての手術をすることになった。まあ、レーザー光線ウンウンかんぬんで、5分程度とのことであるが、手術は手術である。数年前、ICUで大手術をした友人がおり、爾来、合うたんびに、引け目というか、インフェリおリティ・コンプレックスを抱いて困っておったが、これで、オレもようやっと、サシで話ができるというもんである。彼は生死の境を彷徨ったのだが、オレの手術も同じ手術、5分間、生死の境、彷徨ったろうやんけ、臨死体験とやら、も味わってやろうではないか。なんでも、気の持ちよう、である(ただ、10年前、親知らずにできた虫歯のため、ほぼ失神状態のオレを3時間ほどかけて処置していただいた歯科のアレは手術じゃなかったのか?)。

 
 今日は、ロック、60年代後半から70年代半ばにかけて、やたら、長い長い曲が流行ったんで、それを、例によって例の如し、こじつけで何か書こうとしてた。

 この前、ハンブル・パイのフィルモアのライブのこと、書いた時、26分超えの「I Walk On Gilded Splinters」、数十年の時を経て聽き直そうとしたが、やっぱ、挫折し、しかも、むしょうに、腹がたった。オールマン・ブラザーズ・バンドも、フィルモア・イーストのライブで、23分超えの「Whipping Post」をはじめとして、In Memory Of Elizabeth Reed、You Don't Love Meとか10分超えぞろぞろ・・・あと、今年はじめて、最後まで聴き通すことができました、ヴェルヴェッツのシスター・レイやら・・なんでなんだろう?と思ったわけである。

 長い曲、それも、10分超えの「やたら長い曲」、こういうの最初にやったんは、アイアン・バタフライの「In A Gadda Da Vida」が嚆矢という話を聴いたことがあるが、クリームかもしれん。ブルースは構造上、なんぼでも、えんえんと長く長くできるとも、聴いたことがある。
 まあ、これらのことは「裏」を取ったワケでもなく、今思いついたこと書いているだけだから、真に受けたら、アカン。

 当時は、シングルからLPへの移行期で、LP、3分間の曲。せっせこせっせこ作曲作詞して、せっせこせっせこ練習して、で埋めるより、一発どーんと26分の曲だと、LP片面ばーんと埋まるわけで、それが本音としか思えない。
 アーティストと自分を勘違いした連中がドラッグやりすぎて、終わるに終われないようになったとしか、思えない。
 まあ、これが、オレの長いロックの曲聴いた「感想」なのだからしかたない。

 まあ、どうだっていいことのように思えるが、クソ長い曲こそがオレがロック嫌いになった原因の一つで、短い3分未満で完全燃焼するパンクが出た時、「これだぁぁぁぁぁぁ!!!!」と、ス~っと集中できたのは、長い曲のロックにいかにウンザリしていたか、ということである。

 ヴェルヴェッツのSister Ray(但し途中まで)、クリームSpoonful(但し途中まで)、アイアン・バタフライIn A Gadda Da Vida (但し途中まで) オールマン・ブラザーズ・バンドの「You Don't Love Me」(但し途中まで)、ハンブル・パイの「I Walk On Gilded Splinters」聴きながら書いてたけど、ちゅうことで、PASSPO☆の「くちゃLove」聴こうっと。

 
 


2014年10月18日土曜日

平成26年10月18日

 火山が噴火し、10月に台風、それもバカでかいやつ2週連続で来た年である。もう、何が起こっても、驚かない覚悟はできていた筈だったが、阪神タイガースが4連勝しよったがな。
 プール、今日は、ちょっと遅目、20時ちょい前ぐらいに行ったのだが、ガラガラで泳ぎやすかった。まさか、この影響でないことを信じたい。
 何度も云うが、火山が噴火し、10月に台風、それもバカでかいやつ2週連続で来た年である。日本シリーズでも、ひょっとしたらひょっとするかもしれん。

 阪神タイガースさんが数日先の日本シリーズに夢中になっているのはいいけど、東京ヤクルトスワローズは、もう、来年というず~~~っと、はるか先の「未来」を見据えているのであーる(負け惜しみ)。

 それはそうと、あの「ロックの歴史」という書物は、いまなお、オレにスゴい刺激を与えてくれている。要するに、もう、あの書では、触れられていなかったミュージッシャンを聴きたくなって、聴きたくなってしょうがなくなっている。
 
 ハンブル・パイの後、マンフレッド・マンなんか、聴いてた。で、、「ロック」に疲れて、今、高田渡の「自転車に乗って」聴いているけど。

 あの本に沿った「ロック」では無いけど、ロックはもうキライになった、このオレが、ロックを聴きたくなっている、そういう意味で非常に「ロックな歴史」と云える。

 著者の狙いは、ひょっとしたら、ソコにあるんではないか、と思い始めた。
 60年代後半から70年代前半にかけて、非常に大きな進歩を遂げ、今なお当時の音源のファンの多い「ハードロック」や「プログレッシブ・ロック」「グラム・ロック」を「ロックの歴史」では、完璧に無視したのは、これらのジャンルのロックが好きな読者を挑発するためなのかもしれん。
 ただ、あの本読んで、「聴く人それぞれに、それぞれのロックが歴史があるんでっせ」というやさしさ、メッセージは、微塵も感じなかったけど。

  

2014年10月17日金曜日

OS X Yosemite

  OS X Yosemite、来たんで、まあ、ちょっと前のOSみたいに「残り約22分」と表示されたまま3時間待たされることなく、フツーに重ね書きインストールする。

 まあ、詳細は、AppleのHPや、MACお宝鑑定団 blog(羅針盤)さんの、OS X Yosemite のまとめ(使い方)を参考にしていただくにして、

 今のところ、便利だな、と思ったのは、

OS X Yosemite:QuickTime Playerで、iPhone/iPadの画面収録が可能に
 iPhoneがカメラ代わりになるわけだ。スゴい。
OS X Yosemite:Dashboard表示をオフにすることが可能に
 今ごろ、ようやっと。

OS X Yosemite:通知センターの「今日パネル」にウィジェットを追加表示する
 今日パネルは使いやすい
OS X Yosemite:テキストエディットで、書類を開く前に、テキストエンコーディングやリッチテキスト無視選択が可能に
 フツーのエディタアプリ使えばいいのだけど、まあ。

 あと、ケッタイなことしやがって、と思っているのは、

OS X Yosemite:信号コントロールボタンの「緑」で「フルスクリーン」ではなく「最大化」表示する方法
 コントロールキー押しながらやればいいのか。
 フルスクリーンってめちゃくちゃ不便なんである。

・iTuneのインターフェース、またもや、変えよった。
 オレのように気に入った曲があれば、すぐ、iPhone用のプレイリストに放り込んで、という使い方が「マイミュージック」ではできない。となりの「プレイリスト」にして、あと表示んとこを「アルバム」から「曲」に変えてやっと、それ風に。

 
 まあ、今のところ、こんな感じ。
 今回のインターフェースの変更で目が疲れにくくなった感じがする。

2014年10月16日木曜日

平成26年10月16日

 ちゅうか、阪神タイガース、めちゃくちゃ強いやん。
 火山が噴火し、10月に台風、それもバカでかいやつ2週連続で来た年である。もう、こうなったら、日本一になって欲しいものである。

 まあ、このところ、PASSPO☆ばっか聴いている。
 根岸愛と森詩織の声に惚れてしまったし、基本的に聴く曲聴く曲エエ曲ばっか。そいで、聴いている・・のはいいのだが、何せ、最近のロックちゅうもん、まったくわからんので、たとえば、2012年の『ぱすぽ☆エアライン3部作』、「Next Flight」(エエ曲や)は「ぱすぽ☆meets LAメタル」、「夏空HANABI」(エエ曲や)は「ぱすぽ☆meets Japanese PUNK」、「WING」(エエ曲や)は「ぱすぽ☆meets German METAL」というふうになっておるんはエエが、LAメタル、German METALというのがオレには?????となんである。
 
 で、「ロックの歴史」という新書を読んだ。
 オレがキライな「ロック」の方の歴史であった。ザ・バンドやデラニー&ボニーを聴いて退屈じゃなかった人の書いた「ロックの歴史」であった。しかも、70年代前半までの「ロックの歴史」、しかも、オレより6つも年上の方の書いた「ロックの歴史」、大したもんである。

 この「ロックの歴史」読み終えて、ザ・バンドやボブ・ディランやデラニー&ボニーやデレク・アンド・ドミノスやジョージ・ハリソン三枚組聴きたくなったか、といえば、ぜんぜん、むしろ、もうこれからの人生、それらの音無しで生きていこうと決心したぐらい、で、ほとんどこの「ロックの歴史」では触れられなかったキンクスをむしょうに、聴きたくなった。やっぱ、大金持ちになってアメリカ行っていっぱいの ミュージッシャンのお友だちと一緒に、ドラッグにどっぷり浸かりながらチャラチャラロックして女房寝取られたり(ジョージ・ハリソンね)するよりも、やっぱ、そういうのは、夢見るだけにしといて、ロンドンは郊外高級住宅街マスウェルヒルに今はいるけど、生まれ育ったロンドン下町なまり(コックニーレベル)を捨てないで、ロックせなアカン(これがキンクスの名曲マスウェル・ヒルビリーズのホンマの意味だ、たぶん)。
 
 ま、オレは、この「ロックの歴史」とやらの「裏」行ったろうやんけ、と決心した。みなさんは素直にこの「ロックの歴史」に出てくるミュージッシャンを崇拝し立派な人生を歩みなさい。
 
 で、その後、スモール・フェセス聴きたくなり、そして、悪いことに、ハンブル・パイ聴きたくなった。
 
 しかし、ハンブル・パイ唯一持っているレコードが1971年のフィルモアのライブ、すぐには聴けないんで、CDでも買ったれ、とAmazon見てたら、きょうび、そのライブの完全盤、4回分のコンサートまるまるが4枚組CDで出てたんで、せっかくだから、それにして、それ聴く。
 甘かった・・・。
 4枚組ということは、「I Walk On Gilded Splinters」が4回分、きっちり入っとるということで、じっさい、入っていた。
 26分以上、もある曲である。
 高校時代、ハンブル・パイのフィルモアのライブ聴きまくっていた時も実は、一度も聴き通したことがない。長い曲がキライになった契機の曲である。
 今回も飛ばして後の曲聴いた。人間進歩なんかしない。

 もちろん、当時の熱気むんむんが伝わってくるライブで、レイ・チャールズのカヴァーの2曲(4枚組だと、ハレルヤが4回、I Don't Need No Doctorは3回となります)は、似たような演奏であってカッコ良すぎて、カッコ良すぎて、痛快まるかじり、今なお、ほれぼれしてしまう。ハンブル・パイがオリジナルにこだわらず、R&Bのカヴァーをカッコ良くロックロックした音で全力疾走でやってくれていたらなぁ、と思うわけである(注I Walk On Gilded SplintersもDR.Johnのカヴァーである)。

 あと、ついでにベスト盤みたいな、アンソロジー(Hot 'N' Nasty - The Anthology)ちゅうのも、聴いてみたら、1970年のサードアルバム(大地と海の歌)からの「Live With Me」 にハマる、ハマってハマって、もう、21回、聴いている。この程度の重さなら、オレでもなんとかなるんだけど・・・。

 まあ、けっきょく、LAメタル、German METALもわからんかった。けど、ロックちゅうたら、ぐだぐだの歴史読んだりするよりも、ブログでぐだぐだ書くよりも、下の動画が すべて(しもた、今日書いた内容、小分けにしたら、5回分ぐらいになったような気がする、詰め込んでわかりにくいだけ)。
 
ぱすぽ☆ - Pock Star ×3 Live





ロックの歴史-講談社現代新書-中山-康樹




Performance-Rockin-Filmore-Humble-Pie





Hot 'N' Nasty - The Anthologyディフィニティヴ・コレクション-ハンブル・パイ

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