2014年2月3日月曜日

平成26年2月3日

ちょっと暖かくなってきた。と、思ったら、風邪気味になってもた。

大昔の知り合いの10才上の方が亡くなった、というか、亡くなっていた。

彼女のイメージは鮮烈に残っている。

白か生成りのワンピースをひるがえしながら、須磨の砂浜に、すくっと立ち、髪をなびかせて、強めの潮風を気持ちよさそうに浴びているすらっとした少女である。はだしである。

 何十年前になるんだろう?下手したら半世紀前のことになってしまう。
 でも、今も、鮮烈。

 その姿は、もう、うじゃうじゃ夏になると集まるおねえちゃん方とも、ましてや、オレの周りにいる誰とも違っていた。凜としている、颯爽としている・・・こうした月並みな表現で表現できてしまうことに驚くものの、それでなおかつ、何かをつけたしたくなる。美化しているのではない、これ以上美化できないんで、いらいらしているのである。もどかしい。

 でも、それからずっと、彼女の名前を聞くたんびに、まっさきにこの潮風に気持ちよさそうにあたっている映像が蘇るのである。

 当時は、夏休みのたんび東京から来て、親戚でも何でも無い、まだ幼児だったガキのお相手してくれた。オレも国鉄の線路より、海側に住んでいた頃だ。当時の須磨の海は、半ばゴミ廃棄場で浜が波に浸食されどんどん狭くなっていた頃だ。そいでも、来たらいつも海に行っていた。彼女が17才の頃まで夏がまちどおしかった。

 10年ほど前、お会いしたが、オレの持っているイメージをひとつも修正する必要はないくらい、変わりはなかった。彼女のもう一つの印象であるそばかすはさすがに無かったが。笑顔は(彼女の叔母の葬儀にもかかわらず)少女の頃と同じだった。

 オレがあと10才年取っていたらなあ、オレが7才の頃抱いた願望を、今ふたたび、こめて、合掌(10才上の「おねえさん」なら今いっているプールにいっぱいおることをこの際、思い起こさないことにしとく)。

 久々に須磨の海行ってみるか。

過去記事Archive