2014年2月28日金曜日

伊藤智仁ピッチングコーチ

 なんとなく、久々にネットワークの調子がおかしく、まあ、あれやこれや、AirMacがらみで「IPv6の構成」を「リンクローカルのみ」にIPv6を実質無効化して、なんとなく、調子が良くなった気がしたんで、まあ、こいでエエか、という状態。

 伊藤智仁
まあ、スワローズファンには忘れらない投手がおり、この数年のスワローズの体たらくっぷり満載の試合を観ていて、何度、嗚呼、こんなとき、伊藤智仁がおったらなあ、とため息をついたことだろう。

 BS1で下の番組観て、泣く。

  古田敦也のプロ野球ベストゲーム:株式会社NHKグローバルメディアサービス(G-Media): "第8回 幻のスピードスター 一瞬の輝き 1993年ヤクルト×巨人2014年2月28日(金) 全盛期わずか半年、それでも強烈な輝きを放つ新人投手がいた。 ヤクルト・伊藤智仁。高速スライダーを武器に巨人から16三振を奪い、セ・リーグタイ記録に並んだ。 ところが次の打席で篠塚になんとサヨナラ本塁打を浴び、新記録と完封勝利を一瞬で打ち砕かれたのだ。 その後、肘や肩を痛めて手術を繰り返し、長いリハビリの末、2003年に引退した。 女房役の古田は「今まで受けた中で最高の投手」と絶賛。伊藤の一瞬の輝きを古田が解き明かす。 【ゲスト】春風亭昇太さん(ヤクルトファン代表)、大友康平さん(巨人ファン代表)"





この番組観て、オレの意識では、まだ、伊藤智仁がカムバックして、また、スゴいスゴいピッチングしてくれるという願望が深い深いところに眠っているのに気がついた。
伊藤智仁一軍ピッチングコーチ、頼んまっせ!

2014年2月21日金曜日

平成26年2月21日

 あーなんべん、観てもエエ。天才が自分の天才を思うままにコントロールしまくっている様を観ることができたのである。メダルも点数もどーだっていい。

 生きてて良かった。






しかし、あいかわらず、日本のマスコミって、なんで、こんな小細工ばっかするんだろう。ちゅうか、マスコミって自分らが「検閲機関」って思っているんかもしれん。ウチの国、実際は、ずーっっっっっっと昔から、自由にものなんか云えない社会かもしれん。


森元首相好きでもなんでもないが。下の流れの文章から、ワンフレーズ抜き出して「真央ちゃん、大事なときには必ず転ぶんですよね」じゃ、ヒドすぎる。
入試とかで文章の要約やらんかったんだろうか?

冷静に読むと、森元首相なり(同意できるかできないかは自由)の冷静な分析。

森元総理の発言報道に激怒して発言全文を読むと、ありゃりゃ??? | More Access! More Fun!: "それ全部やって一番最後に真央ちゃん。なんとか頑張ってくれと思って皆見ておられたんだろうと思いますが、見事にひっくり返っちゃいましたね。あの子、大事なときには必ず転ぶんですよね。なんでなんだろうなと。
僕もソチ行って、開会式の翌日に団体戦がありましてね、あれはね、出なきゃよかったんですよ日本は。あれは色んな種目があって、それを団体戦で。特にペアでやるアイスダンスっていうんですかね。あれ日本にできる人はいないんですね。あのご兄弟は、アメリカに住んでおられるんだと思います確か。ハーフ。お母さんが日本人で、お父さんがアメリカ人なのかな。そのご兄弟がやっておられるから、まだオリンピックに出るだけの力量ではなかったんだということですが、日本にはいないもんですから、あの方を日本に帰化させて日本の選手団で出して、点数が全然とれなかった。あともう皆ダメで、せめて浅田さんが出れば3回転半をすると、3回転半をする女性がいないというので、彼女が出て3回転半をすると、ひょっとすると3位になれるかもしれないという淡い気持ちでね。浅田さんを出したんですが。また見事にひっくり返っちゃいまして、結局、団体戦も惨敗を喫したという。その傷が浅田さんに残ってたとしたら、ものすごくかわいそうな話なんですね。"

2014年2月20日木曜日

弘田三枝子、「東京27時」 と、「the GROOVE ROOM suite: また恋におちてしまった~ダーリン・オブ・ディスコティック/Remixed by 小西康陽」

 真央真央真央!!!

 やったやったやったやったやったやったやったやったぁぁ(ジャンプ8つ分)。人生、やっぱ、浅田真央やでぇ。

 久々に音楽の感想文。

 さて、ごぞんじのとおり、オレは弘田三枝子が大好きである。
 ただ、唯一、聴いて、腹が猛烈に立ったアルバムがこれである。


東京27時

 1. 東京27時
2. レオのうた(readymade JBL mix)
3. VACATION(ESCAPE mix)
4. 可愛い嘘
5. 子供じゃないの(ye[,]ye[,] mix)
6. あなたがいなくても

 1999年、プロデューサーはあの小西康晴、リミックス盤である。
 いろんなへんてこな音あざとく入れまくってるわけだ。

 まあ、数年遅れて聴いたもんでリズムトラックが既に古くさくなっており、陳腐でかっこ悪くかっこ悪く聞こえてしまったこともある。でも、何が腹が立ったかというて、「可愛い嘘」(オリジナルは1968年筒美京平作曲橋本淳作詞)、「あなたがいなくても」(1969年「人形の家」B面  作詞:橋本淳/作曲編曲:川口真)というオレの大好きな大好きな曲を選曲していることである。

 筒美京平作曲なら有名なまだ、「うわさ」シリーズなら許せたろう、大ヒットした「人形の家」なら許せただろう、よりによって、オレが好きで好きで好きすぎて誰にも教えたくない「可愛い嘘」「あなたがいなくても」はないだろう。
 
 しかも、原曲の雰囲気も肝心の弘田三枝子の声も台無しにしとる方向の音作りである。

 まあ、「レオのうた」でよかった。「たまごの赤ちゃん」だったら、もう、許せないところだ。
 なんぼ、ピチカート・ファイヴで大儲けしたとはいえ、これはヒドいだろう。

小西康陽、なんちゅうことするのだ

 である。

 だいたい、東京住んでいる時思っていたが、東京の私学出身特有の、あの、鼻持ちならない、特有の、金持ちぶった、オシャレぶった、いやらしさ、すら思い出して、猛烈に腹が立ったわけである。

しかも、東京27時 バージョンの「可愛い嘘」、「あなたがいなくても」・・・めちゃくちゃエエんである。敗北感にうちめされる、とは、このことである。  そいで、風のうわさに、小西康陽のピチカート・ファイヴで弘田三枝子をフューチャーした曲がある、と聴き、まあ、気が進まないまま、冬の滝に打たれ修行するつもりで、ピチカート・ファイヴのアルバム、ブックオフとかで漁り始めた。あくまでも、冬の滝に打たれ修行するつもり、である。

 そいで、前感想文書いたと思うが、やっと、下のマキシシングルの一曲目、the GROOVE ROOM suite: また恋におちてしまった~ダーリン・オブ・ディスコティック/Remixed by 小西康陽の3分40秒からの弘田三枝子のダーリン・オブ・ディスコティックを見つけることができた。


REMIXIES 2000 [Single] ピチカート・ファイヴ







1the GROOVE ROOM;また恋におちてしまった|ダーリン・オブ・ディスコティック
2ローマ
3シェリーにくちづけ
4ワン・トゥ・スリー・フォー・ファイヴ・シックス・セヴン・エイト・ナイン・テン・バービー・ドールズ
5ダーリン・オブ・ディスコティック
6パーフェクト・ワールド
7ジョリ・バブリ・ラブリィ





 ここでの、弘田三枝子は久々の全開、フルスロットルでノリノリでゴキゲンである。重度のノイローゼ患者うつ病患者ですら、その長年覆いかぶさっていた暗く重いダランとしたものを一気に吹き飛ばすような、「弘田三枝子」の声そのものであったからだ。

 特に前半が野宮真貴のオシャレで思い切り気取った(注 悪口ではありません、褒めているのです)の「また恋におちてしまった」に殴りこみをかけるように、弘田三枝子の「ダーリン・オブ・ディスコティック」が始まった時には、まさに、オレの意識が異次元空間へワープをするかの如き感動があった。ノリまくった弘田三枝子の彼女特有のパンチ、パンチ、パンチの連続である。
 弘田三枝子はジャズに傾倒して以来抑えて抑えた唄い方が多かったもんだがら、久々に解放しまくった開放しまくった「無敵」の彼女を聴けることは爽快であった。

 弘田三枝子から弘田三枝子を引き出してしまうとは、嫉妬のあまり、やっぱり、腹が立つがしゃあない、

小西康陽・・・ありがとう
 である。







2014年2月15日土曜日

アイドリング!!!遠藤舞卒業

昨日(14日)、ライブを最後に3号遠藤舞がアイドリング!!!卒業(http://natalie.mu/music/news/109937)してしもうた。



 かなり美形だし、実際、時折ぞくっと来るほどだけに、上のような顔が強く印象に残ってる(もちろん、左側、念のため)。小泉瑠美の激写ングん時に匹敵すると思うのだが。
 アイドリング!!!の中で唯一、聴いてみたい唄を唄うことができる人であったと思う。

2014年2月13日木曜日

どっかできいたことあると思っていたが

じゅげむ じゅげむ ごこうのすりきれ かいじゃりすいぎょの すいぎょうまつ うんらいまつ ふうらいまつ くうねるところにすむところ 佐村河内ぶらこうじ ぱいぽ ぱいぽ ぱいぽのしゅーりんがん しゅーりんがんのぐーりんだい ぐーりんだいのぽんぽこぴーの ぽんぽこなーの ちょうきゅうめいのちょうすけ

2014年2月12日水曜日

オレにとっての、ソチ・オリンピック

 高梨沙羅が4位だったんで、一回休み。女子のジャンプにラージヒルって無いんか?


 なんか、オレが一生懸命応援すると、一生懸命応援すればするほど、こういう結果になる感じが昨年のセ・リーグペナントレースから続いているような気がする(フツーの人には、なんの根拠もないことと笑われるかもしれんが、人生、応援するチームがセ・リーグ最下位になるとしばしばこういう考えにとらわれるのである)。

 後、オレの贔屓は浅田真央選手であるが、いっそのこと、団体戦でぶいぶい云うてた15才のロシア娘(もちろん、前回の金メダリストこそを応援するべきであろうが、いくらゲン担ぎでも応援したくない・・あくまでもオレのワガママ以外他意はない)、を応援したろかいな、と思っている。

 もし、これで結果が出るようなら、今季のペナントレース、ヤケクソ、いや、明鏡止水のココロで、讀賣と阪神と広島と中日と横浜DeNa応援したんねん。

2014年2月3日月曜日

平成26年2月3日

ちょっと暖かくなってきた。と、思ったら、風邪気味になってもた。

大昔の知り合いの10才上の方が亡くなった、というか、亡くなっていた。

彼女のイメージは鮮烈に残っている。

白か生成りのワンピースをひるがえしながら、須磨の砂浜に、すくっと立ち、髪をなびかせて、強めの潮風を気持ちよさそうに浴びているすらっとした少女である。はだしである。

 何十年前になるんだろう?下手したら半世紀前のことになってしまう。
 でも、今も、鮮烈。

 その姿は、もう、うじゃうじゃ夏になると集まるおねえちゃん方とも、ましてや、オレの周りにいる誰とも違っていた。凜としている、颯爽としている・・・こうした月並みな表現で表現できてしまうことに驚くものの、それでなおかつ、何かをつけたしたくなる。美化しているのではない、これ以上美化できないんで、いらいらしているのである。もどかしい。

 でも、それからずっと、彼女の名前を聞くたんびに、まっさきにこの潮風に気持ちよさそうにあたっている映像が蘇るのである。

 当時は、夏休みのたんび東京から来て、親戚でも何でも無い、まだ幼児だったガキのお相手してくれた。オレも国鉄の線路より、海側に住んでいた頃だ。当時の須磨の海は、半ばゴミ廃棄場で浜が波に浸食されどんどん狭くなっていた頃だ。そいでも、来たらいつも海に行っていた。彼女が17才の頃まで夏がまちどおしかった。

 10年ほど前、お会いしたが、オレの持っているイメージをひとつも修正する必要はないくらい、変わりはなかった。彼女のもう一つの印象であるそばかすはさすがに無かったが。笑顔は(彼女の叔母の葬儀にもかかわらず)少女の頃と同じだった。

 オレがあと10才年取っていたらなあ、オレが7才の頃抱いた願望を、今ふたたび、こめて、合掌(10才上の「おねえさん」なら今いっているプールにいっぱいおることをこの際、思い起こさないことにしとく)。

 久々に須磨の海行ってみるか。

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