くそっ、こんなのが出てたなんて!
ファニア・オールスターズの1971年8月26日、ニューヨークのクラブ「チーター」で行われた(ここから、ニューヨークサルサが誕生したという)伝説のライブを収めた映画「アワ・ラテン・ティング」の40周年記念デラックス・エディションである。
映画丸ごとDVDと、そのライブを収めたCD「Live At The Cheetah Vol.1」「Live At The Cheetah Vol.2」、2枚つけて、正真正銘の「デラックス・エディション」である。 クソロックでよくある、アナログよりひどいリミックスされた、聞きあきた「名盤」とやる気のない演奏のアウトテイクとブートレッグより悪い音のライブを抱き合わせ無理矢理2枚組3枚組にして高く売りつける、まさにピストルズ終焉時のジョニー・ロットン云った「騙された気分」を実感しまくれる、理解しまくれる「デラックス・エディション」とは違う。
映画「アワ・ラテン・ティング」見逃していたオレとしては、まあ、DVDだけでも嬉しかった。
Our Latin Thing (40th Annv)
DVDの映画は、もう、何と云ったらいいか、実際、観てもらわんとオレの表現力ではムリである。だいたい、オレはサルサのことなんか、殆どわからん。そんなオレですら、凄い、というか、おぉおぉおぉ!と思うシーンの連続である。
字幕も入っていないし、ライブにはさまって、ニューヨークが一番汚くて危険な時代の、おそらく一番ヤバい地域の、小汚いガキやら明らかにヤバい風景が映し出されるが、70年代のダサい感じがまた、カッコ良く感じられるから不思議だ。
まあ、不思議も何も、まったく新しい何かが生まれそうになっているんだから、しゃあない。
ちゅうんで、一曲だけ、感想を書く。
80年代終わりあたりだったと思う、最初に、「Live At The Cheetah 」聴いたのは。当時は、心に「レゲエ命」の刺青入れてた頃、なんで買ったんか、わからん。
「Live At The Cheetah Vol.1」はたった4曲しか入っていない。長い曲ばっかり。最初イントロがカッコエエと思ったが、それだけ。でも、聴いたけど、全部、おんなじように思えた(これだけの、音楽の感性の持ち主だ、仕方ない)。
「しもたなぁ、失敗したか」と、せっかく買ったんだから、そのまま、音を流していた。
でも、えんえん続く同じような、というか、似たようなラテン系のリズムの羅列を聴いていると、もちろん、飽きる、ただ、飽きて飽きまくった後、そのうちオレの中の「飽きる」という反応を司る部分が麻痺してきた。ああら、不思議、そっからは、なんかもうタマランようになって、音の渦に巻き込まれ、ひたすら、「!!!」の連続である。
そうやって、最初にサルサというか、ファニア・オールスターズというか、アルバム「Live At The Cheetah」にハマったのが、「Quitate Tu」、16分45秒もある曲だった。
オールマン・ブラザーズ・バンドのフィルモアのライブに入っている「In Memory Of Elizabeth Reed」高校生ん時、買って以来、一度もまだ聴き通した事ない短気なオレとしては、当時、レゲエ聴きまくっていたとはいえ、不思議であった。
さて、その「Quitate Tu」という曲、映画「アワ・ラテン・ティング」の中でも、ムダに多人数のホーン、ムダに多いヴォーカル、ムダに過剰なパーカッション、ムダに多いコーラス、ムダに長い曲が始まる。もちろん、Wikipediaやその筋のホームページ見ると、そのそれぞれが、スゴい人ばかりなんだろうが、オレの知ったことじゃない。
・・・・曲の部分が終わった。
そして、確実にオレはある種の興奮の中におった。
演奏部分、やたらパーカッションのアンちゃんが張り切り始めたところで、ライブシーンから街で踊りまくっている人たちの変わって、再びライブシーンに戻るが、そいでも終わらない。延々音楽は続いている。
やがて、終わる、いや、終わらないでくれ。お願いします、もっともっと続けて下さい・・・と土下座したくなるほどであった。
やっぱ、凄い。
レゲエなんかも同じリズム延々、ちゅうのは得意だが、どっかノリを抑制するとこがあるのだが、これは、抑制するんでもワザとノリを煽るわけではなくとりあえず、ノリを爆発させようとするわけじゃなく、自然に任せて好き勝手やったら、とてつもないとこへ来ちゃった、という感じ。
まあ、オレはレイシストじゃないから、ジャマイカの人と日本人とラテン系アメリカ人、アフリカ系アメリカ人がどうのこうの、いうつもりは無い。まあ、オレは全部おいしとこだけ、吸い尽くすだけである。
オレの例で云うと、「Live At The Cheetah Vol.1」のあともちろん、Vol2も聴いたが、そっから、ファニア・オールスターズやサルサにハマるわけでもなく、やっぱし、レゲエに戻って今日に至る、である。
あ、今思い出したが、フェラ・クティ、聴いた時のハマり方が、なぜか、ファニア・オールスターズの時に似ていた。 なぜなんだろう?
以上。
2014年1月27日月曜日
2014年1月26日日曜日
まとめ書き
冬になって、寒い木枯らし吹き荒れる中、プール行くの、かなり勇気が必要であり、ヘタレのオレはサボったりしまくっていたが、最近、慣れてきて、温水プールつかると、「あったかいなあ」と風呂に入るような気持ちになってきた。しめたものである。しかし、体重はもう減らなくなってきて、腹は出たままである。
前回の更新から、いろいろありました。
・ウチのホームラン王ヴァレンティンが、逮捕される。
今年はマジメに氏神様と赤エイがクスノキに変わったというお稲荷さまに「スワローズの選手にケガがありませんように」とお詣りしたのだが、来年からは、「スワローズの選手に犯罪者が出ませんように」とかも付け加えなあかん。所詮は、貧乏球団だ、大型補強とか期待していない。でも、今ある戦力で、フツーの状態でフツーにやって欲しい。
・やしきたかじん死去
たかじんが死んで、つまらんようになった。東京というのは怖ろしいところで、(東京弁で)「まあ、これ、今ちゃんとすんの、ややこしいから、いちおう、こういうことにしときまひょか?」という事、ずっと、そのまま、何十年も放ったらかしにするうち、「こういうことにしときまひょか?」がいつの間にか、「こうでないと絶対にあかん」になってしまい、それに異議を差し込むこと自体も「悪」にしてしまうもんだから、ちょっと、「ちょー、待ってえなぁ、それ、ほんまはこうやけど、あん時、ややこしぅなるから、とりあえず、こういうことにしとこか、でしただけやん?ほんまのとこ、そうやなかったじゃないですか」って言おうもんなら、目がつり上がり、キンキン声で首ねっこ絞められながら、「右翼、ファシスト、レイシスト」呼ばわりされ、社会的に抹殺されてしまうようになる。
それに正々堂々大阪から異議を唱えたのが「委員会」で、全盛期はホンマ、毎週、毎週、目からウロコ状態であった。この番組、右傾化云々いわれるが、実は、ほとんどの視聴者は、「真実」を知りたいだけなのである。
その「真実」を知ろうとしたやしきたかじんと一緒にワシら視聴者もごく自然に、真実を知っていったもんである。良き並走者だったと思う
・和枝ちゃん登場
ようやっと、「ごちそうさん」に和枝ちゃん(キムラ緑子)が先週、登場した。やっぱ、人生、イケずは必要である。
和枝ちゃん登場する前の週は、夫婦ゲンカの週であったが、実際、浮気したわけじゃなく、夢で寝言云うた程度で放送一週間分。この時、嗚呼こんなしょうもないことでノイローゼなるんは和枝ちゃんがおらんせいや、と思いました。エゲツないエゲツないイケず毎日されていたら、夫の「浮気」に負けない強い精神が培われるもんなないだろうか。
少なくとも、何度かやられたように、和枝ちゃんが大八車で、杏の荷物一切詰め込んで、運ぶシーンはあったなぁ、と。
あと、和枝ちゃんと、杏の両親特に原田泰造とのカラミが見たい。
・「軍師黒田官兵衛」早くもラブコメ化で見る気失せる
もう、なんちゅうのか? 前回今回の60年代の「りぼん」的展開は。せめて、今回の嫁選びについて云うと、例えば(例えばである、あくまでも例えば)姉光浦靖子、妹大久保佳代子じゃないとなあ。明智光秀にも似たような逸話が残っていて(史実ではなく江戸時代に面白おかしく作られたヤツ)姉美人、妹ブス、であえて妹選んだ(妹は疱瘡を患って跡が残っていただけで、美人で性格が良かった)のに比べスリリングじゃない。
あと、姫路の人、あんなに行儀良いもんだろうか。オレの知っている範囲内では、もっともっと行儀悪いぞ。正座なんかでけへんのとちゃうか。敬語だって怪しいもんだ。八重の桜みたいになんで、「播州弁」でやらんのだろう???
・長谷川るみ(元アイドリング!!!2号小泉瑠美、前長谷川瑠美)、「塩を人にかける女」でアウト×デラックスに出演(1月16日)
ついに地上波登場。でも、こっちの路線行くの????、これじゃ、元5号の路線じゃ・・・と思ったが、まあ、まだまだ助走状態。ホンマの彼女はこんなもんじゃない。地上波でマツコと矢部に塩かけられてただけでも良しとせな。
あと、いい恋愛バンバンやって欲しい。
まあ、ヴァレンティンが逮捕されて意気消沈、試合にどうやら出れそうな感じが昨日あたり出て、ようやっと更新する気になった。フツーに更新してたら上の話題書いてたことであろう。
念のため、このブログは、昭和歌謡を聴いて、感想文を書き連ねるブログである。
前回の更新から、いろいろありました。
・ウチのホームラン王ヴァレンティンが、逮捕される。
今年はマジメに氏神様と赤エイがクスノキに変わったというお稲荷さまに「スワローズの選手にケガがありませんように」とお詣りしたのだが、来年からは、「スワローズの選手に犯罪者が出ませんように」とかも付け加えなあかん。所詮は、貧乏球団だ、大型補強とか期待していない。でも、今ある戦力で、フツーの状態でフツーにやって欲しい。
・やしきたかじん死去
たかじんが死んで、つまらんようになった。東京というのは怖ろしいところで、(東京弁で)「まあ、これ、今ちゃんとすんの、ややこしいから、いちおう、こういうことにしときまひょか?」という事、ずっと、そのまま、何十年も放ったらかしにするうち、「こういうことにしときまひょか?」がいつの間にか、「こうでないと絶対にあかん」になってしまい、それに異議を差し込むこと自体も「悪」にしてしまうもんだから、ちょっと、「ちょー、待ってえなぁ、それ、ほんまはこうやけど、あん時、ややこしぅなるから、とりあえず、こういうことにしとこか、でしただけやん?ほんまのとこ、そうやなかったじゃないですか」って言おうもんなら、目がつり上がり、キンキン声で首ねっこ絞められながら、「右翼、ファシスト、レイシスト」呼ばわりされ、社会的に抹殺されてしまうようになる。
それに正々堂々大阪から異議を唱えたのが「委員会」で、全盛期はホンマ、毎週、毎週、目からウロコ状態であった。この番組、右傾化云々いわれるが、実は、ほとんどの視聴者は、「真実」を知りたいだけなのである。
その「真実」を知ろうとしたやしきたかじんと一緒にワシら視聴者もごく自然に、真実を知っていったもんである。良き並走者だったと思う
・和枝ちゃん登場
ようやっと、「ごちそうさん」に和枝ちゃん(キムラ緑子)が先週、登場した。やっぱ、人生、イケずは必要である。
和枝ちゃん登場する前の週は、夫婦ゲンカの週であったが、実際、浮気したわけじゃなく、夢で寝言云うた程度で放送一週間分。この時、嗚呼こんなしょうもないことでノイローゼなるんは和枝ちゃんがおらんせいや、と思いました。エゲツないエゲツないイケず毎日されていたら、夫の「浮気」に負けない強い精神が培われるもんなないだろうか。
少なくとも、何度かやられたように、和枝ちゃんが大八車で、杏の荷物一切詰め込んで、運ぶシーンはあったなぁ、と。
あと、和枝ちゃんと、杏の両親特に原田泰造とのカラミが見たい。
・「軍師黒田官兵衛」早くもラブコメ化で見る気失せる
もう、なんちゅうのか? 前回今回の60年代の「りぼん」的展開は。せめて、今回の嫁選びについて云うと、例えば(例えばである、あくまでも例えば)姉光浦靖子、妹大久保佳代子じゃないとなあ。明智光秀にも似たような逸話が残っていて(史実ではなく江戸時代に面白おかしく作られたヤツ)姉美人、妹ブス、であえて妹選んだ(妹は疱瘡を患って跡が残っていただけで、美人で性格が良かった)のに比べスリリングじゃない。
あと、姫路の人、あんなに行儀良いもんだろうか。オレの知っている範囲内では、もっともっと行儀悪いぞ。正座なんかでけへんのとちゃうか。敬語だって怪しいもんだ。八重の桜みたいになんで、「播州弁」でやらんのだろう???
・長谷川るみ(元アイドリング!!!2号小泉瑠美、前長谷川瑠美)、「塩を人にかける女」でアウト×デラックスに出演(1月16日)
ついに地上波登場。でも、こっちの路線行くの????、これじゃ、元5号の路線じゃ・・・と思ったが、まあ、まだまだ助走状態。ホンマの彼女はこんなもんじゃない。地上波でマツコと矢部に塩かけられてただけでも良しとせな。
あと、いい恋愛バンバンやって欲しい。
まあ、ヴァレンティンが逮捕されて意気消沈、試合にどうやら出れそうな感じが昨日あたり出て、ようやっと更新する気になった。フツーに更新してたら上の話題書いてたことであろう。
念のため、このブログは、昭和歌謡を聴いて、感想文を書き連ねるブログである。
2014年1月6日月曜日
平成26年1月6日
昨日は、泳ぎ初(およぎぞめ、ね)。久しぶりだし、空いていて、コース占有できたので超ゆっくり泳いでみる。だんだん、泳いでいるのか、水中に浮かびながらストレッチしているのかわからん状態になる。しばらく、そうやってたら、筋肉が程よい感じに水に馴染んできた感じに、なってきたんで、本気で泳いだら、足の指がつった。これが今のオレだ。
まあ、大河。黒田官兵衛。まあ、だいたい、秀吉モノ読んでたら登場するし、播磨灘物語も読んだし、ひと月前、海音寺潮五郎の「武将列伝」でも読んだとこなんで、もう、通ぶったこと云わんと、フツーに見とこ、と思ってた。云うておくが、黒田官兵衛はカッコいいし、黒田官兵衛の一生は、フツーにオモロい。フツーに生涯をフツーにやるだけでオモロイ。ただ、そこはNHKである。平和、それも、憲法9条的平和が盛り込まれ台無しにしてしまうにちがいない。たとえば、長期間籠城させて一番残酷な死に方の餓死や餓死寸前にして人間の尊厳を失わせるのが「憲法9条的」なイイいくさ、で、合戦で武士として思う存分、その力を出しきって相手と闘い、相手を殺すんは、きっと「非憲法9条的」な悪いいくさ、になっちゃうんだろう。
しかし、尾藤イサオが出ていた。ヒモやチンピラやらしたら、天下一品。今回は善人みたいだが、そいでも、うさんくささオーラ強烈であった。しかも、唄を歌わせていた!実は年末、「尾藤イサオ・ゴールデン☆ベスト」手に入れて、聴きまくっていたとこだったんで、嬉しかった。
しかも、片岡鶴太郎が明らかに「役作り」して来た! しかも、おそらく、類推でしかないが、どうも演技の様子見ていたら、どう考えても「金子信雄」だ。メーキャップも鼻を赤くしているほど凝っている。
日活アクション王道の悪役としての「金子信雄」か、(たいていはこっちと思うが)「仁義なき戦い」の山守組長の線か、はたまた、東映の暴力教室とかの目も当てられないスケベであくどい、けど、なぜか、オカマ言葉の「金子信雄」か、楽しみである。
常々、オレが最近の映画やドラマに欠けているのは、「尾藤イサオ」キャラと「金子信雄」キャラと「菅井きん」キャラと思っていた(あと、荒木一郎キャラも欲しいなあ)。まあ、単にこのお三方のファンということだが。色悪ではないけど尾藤イサオ、本人じゃないけど「金子信雄」の二つが揃った。これで、あと、ホンマ、「菅井きん」に匹敵するクソ婆あが揃ったら、もう完璧なドラマである(あくまでも、個人の感想です)。
あと、せっかく、播州の話やるんやったら、あの播州弁でやって欲しかった。摂津国のオレとしては、爆笑できるんだが。播州弁自由に操る柴田恭兵や岡田准一なんか、サイコー。まあ、好感度がガクンと下がってしまうから、無理だったんだろう。ただでさえ、黒田官兵衛、人質になった後は、全身瘡だらけ、片足びっこ、でこれに播州弁加わったらあんまりだろう(あくまでも、個人の感想です。播州弁は大好きな方言です。なんどいや)。
ここ数年、セリフ覚えるんがやっとのイケメンや若い女優(美形は不思議と出ないのが不思議だ)ぎょうさん出すもんだから、単に大声で汗かきながら一生懸命セリフ云うことを演技と思っているような人ばっかでやるもんだから、ほんま疲れた。昨年の綾瀬はるかなんか、そいでも主役やらせるもんだから、可哀想に、ついには常時青筋立ててた。
2014年1月4日土曜日
長田神社へ初詣
長田神社へ初詣行く。長田神社へ初詣、というのは、実は生まれて初めてである。そもそも、お参りすること自体、人生で2回めかもしれん。須磨からだと、山陽電車に乗らんとアカン。今日は、最近、行っているプールの近くにあるから、ちょっと行ってみたくなった。
うちの家は長田神社の氏子ということになってるそうで、当然、毎年行っとかなアカン筈なのであるが、なにせ、遠い。しかも、小学校時代、通学路に、綱敷天満宮はあるわ諏訪神社はあるわ、初詣はもちろん、毎朝、前を通るたんびに頭下げていたので、まさに天神さんのご霊験あらたか、ご覧のとおりオレはカシコになることができました。
諏訪神社は小学一年の時、賽銭パクったことあるんで、まあ、ちょっと天罰受けてますけど。
アホな事云うてると雷に打たれるんで、長田神社に戻ると、本殿の奥に、奥社というのか、お稲荷さんがあるのだが、ご神体がクスノキの木、大きなクスノキがある。しかも、由縁を読むと、ある日、巨大な赤鱏(アカエイ)が苅藻川を遡って来て、その場所でクスノキの木に変じたということで、赤鱏断ち(つまり、エイのヒレとか喰わないことだと思う)してお参りすれば、願いが叶うらしい。絵馬にもエイの絵が書いてあった。しかし、長田の海というか、駒ケ林の海にエイとかいたのだろうか(あ、大阪湾にはいるみたい)。
長田神社、由来を読むと、西暦200年あたり神功皇后の云々があるが、長田神社の「元宮」というのは、オレの家から歩いていける距離、旧国道の昔須磨警察署あたりにある。だから、もともと、神功皇后云々というのは、須磨での出来事となるのだが、そうなると、「須磨」そのものが昔、「長田」だったということになる。まあ、明治以前は須磨も長田も人口少なく、なーんも無かったそうであるから、あの元宮あたりから長田が始まっていたのかもしれん。
(もう、おわかりかもしれませんが、司馬遼太郎の「街道をゆく」を気取ろうとしてますけど、ちょっと失敗してるみたいです)
Wikipedia見てると、
かつては境内には数百の鶏が飼われており、外国人からは「チキンテンプル」と呼ばれていた。その由来から祈願の際には、境内に鶏を奉納したり、鶏の絵馬を捧げる風習があった。そしてかつては氏子は鶏肉や卵を一切食さない、また、婦女の歯を鶏の羽根を用いて染める風習があった。
・・・しもた、今日、鶏の唐揚げ喰うてしもうたがな。
うちの家は長田神社の氏子ということになってるそうで、当然、毎年行っとかなアカン筈なのであるが、なにせ、遠い。しかも、小学校時代、通学路に、綱敷天満宮はあるわ諏訪神社はあるわ、初詣はもちろん、毎朝、前を通るたんびに頭下げていたので、まさに天神さんのご霊験あらたか、ご覧のとおりオレはカシコになることができました。
諏訪神社は小学一年の時、賽銭パクったことあるんで、まあ、ちょっと天罰受けてますけど。
アホな事云うてると雷に打たれるんで、長田神社に戻ると、本殿の奥に、奥社というのか、お稲荷さんがあるのだが、ご神体がクスノキの木、大きなクスノキがある。しかも、由縁を読むと、ある日、巨大な赤鱏(アカエイ)が苅藻川を遡って来て、その場所でクスノキの木に変じたということで、赤鱏断ち(つまり、エイのヒレとか喰わないことだと思う)してお参りすれば、願いが叶うらしい。絵馬にもエイの絵が書いてあった。しかし、長田の海というか、駒ケ林の海にエイとかいたのだろうか(あ、大阪湾にはいるみたい)。
長田神社、由来を読むと、西暦200年あたり神功皇后の云々があるが、長田神社の「元宮」というのは、オレの家から歩いていける距離、旧国道の昔須磨警察署あたりにある。だから、もともと、神功皇后云々というのは、須磨での出来事となるのだが、そうなると、「須磨」そのものが昔、「長田」だったということになる。まあ、明治以前は須磨も長田も人口少なく、なーんも無かったそうであるから、あの元宮あたりから長田が始まっていたのかもしれん。
(もう、おわかりかもしれませんが、司馬遼太郎の「街道をゆく」を気取ろうとしてますけど、ちょっと失敗してるみたいです)
かつては境内には数百の鶏が飼われており、外国人からは「チキンテンプル」と呼ばれていた。その由来から祈願の際には、境内に鶏を奉納したり、鶏の絵馬を捧げる風習があった。そしてかつては氏子は鶏肉や卵を一切食さない、また、婦女の歯を鶏の羽根を用いて染める風習があった。
・・・しもた、今日、鶏の唐揚げ喰うてしもうたがな。
2014年1月3日金曜日
平成26年1月3日
Rock'n'Roll お年玉/大滝詠一【NIAGARA CALENDAR】
大晦日大瀧詠一逝去。時節柄、「Rock'n'Roll お正月」を聴きながら、そっと合掌する。年末、小林信彦と対談が入っている「ジス・イズ‥トニー・谷」を買い直したとこなのだ。
元アイドリング2号小泉瑠美、あらため長谷川るみのブログが久しぶりに更新され、ひしひし、めでたいという気分になった。
12月は映画撮影とバラエティーで「バタバタ」してたとの由。喜ばしい限りである。芸能界という生き馬の目を抜く世界、ともすれば、16号菊地亜美タイプじゃないと生き残れない世界で、真の意味での「マイ‥ペース」でやっているんだから、スゴい。
ほんま、テレビはおろか、ブログすら更新が数ヶ月に一度というお方なので、ブログ更新なされただけで、もう、うれしうてうれしうて。フツー、そういう露出の度合いだと忘却してしまうのであろうが、なにせ、未だ、おジャ魔女どれみだし、ぺしゃぽうだし、べろべろばーだし、で、諸事情だし、アイドリング!!!一期時代の、イメージは未だ強烈に残っているからしゃあない。そいと、今も一期生でときおり暴露される当時のエピソードの凄さ(なんでも、ダンスの振り付けで間違えて振付の先生に怒られると、逆ギレ、先生に食って掛かったそうである)、またそれを語る時の一期生のワクワク感、それに対する今のアイドリング!!!ファンにフッと漂う不穏な空気、そして、その一瞬の間をあわてて打ち消そうとして巻き起こる爆笑。いまだに、アイドリング!!!現メンバー中のアイドルなのだ、ミュージッシャンズミュージッシャンみたいな「アイドルズアイドル」、いや、「アイドリング!!!ズアイドリング!!!」なのかもしれん。
ヘッドフォンかけてたら突然、ボロボロと分解し始めたのには驚いた。右の柄を調節する部分が折れ、左のドライバーを支える部分も折れドライバー(音を出す部分)がぷらぷら。同時に2箇所ぶっ壊れた。オレの頭が突然デカくなったせいでなければ、まあ、寿命というものかもしれん。
3年使っているShure940というモデル。
ユーザーレビューにオレの壊れた部分、壊れやすいと書いてあったが、まあ、3年間酷使した結果だから、まあ、しゃあないな、と。
そいで、以前使っていた、レゲエの低音が出まくるテクニクスのRP-DH1200、イヤーパッド、ヘッドパット、もうボロボロになっているが、フツーに使えた。ダブ聴くために作られたかのような「低音」も健在。多分、10年ぐらい前のヤツだ。やっぱし、松下幸之助はスゴいと思った。(逆輸入したろかいな↓)
echnics RP-DH1200
2014年1月1日水曜日
2014年1月1日
あけましておめでとうございます。
首相が靖国参拝してくれたので、きっと良い年になるでしょう、日本は。オレはわからん。
紅白、あまちゃん登場シーン見逃す。大晦日、新しいHD買って、OS X Mavericks、クリーンインストールしようと思ったのが失敗だった。
昨年は更新がくんと減ってしもうた。ひいきの球団が最下位だった、というオレの人生で最悪レベルの事態が最大の原因であるが、音楽がらみだと、またもや、レゲエ症候群がぶり返し、それもダブ熱という根が深い深い病におかされてしもうたことが大であろう。それに一昨年から4枚組ボックスがばんばん出るわ、死んでいたプレッシャー‥サウンズが再び、古いダブ発掘しまくり始めてるわ、まあ、音楽の感想文、いろいろ書いてきたがオレにとり、一番難しいのは、ダブの音楽感想文である。
オレの場合、コアなファンとちごうて、ホンマ、ダブというものをパーシー・フェイス・オーケストラやフランシス・レイ楽団みたいな「イージーリスニング」のひとつ、として聴いてるようなのである。流して聴いて、気が向いたら、気に入ったヤツ永久リピートさせて聴く。気に入ったダブもダブとして好き、というより、元唄が好きだとか、リズムトラックが好き、の方が遥かに強い。キング・タビーであろうがサイエンティストであろうがプリンス‥ジャミーであろうがかまへん。レヴォルーショナリーズであろうが、ルーツ‥ラディックスであろうがお構いなし。時代は70年代だったら、まあ、たいていのダブアルバム買っても、損したとは思えなくなってしまっているほど重症である。
例えば、まあ、最近買ったアルバムで下のヤツがある。もう、ルーツ‥ラディックス、にatつけてるのは、伝説の「ミッドナイト‥ロック」。ジャケット良し、録音はチャネル‥ワン、ジャー‥トーマスというダンスホール前史の大立者がプロデュース、エンジニアにキング・タビーとサイエンティストの名がついている。ちょっとレゲエやダブ知っている人ならば、それだけで、「美味しそうな」アルバムであろう。
The Roots Radics At Midnight Rock
これの8曲目、「Satan's Dub」というオドロオドロしい名称の曲があるが、これが、なんと、大好きな大好きなヘプトーンズが60年代ステューディオ・ワンでやった「Mama」というママ、ママ、どうか、あの人んとこ行かせて、あの人が来いっていうの、という歌詞を延々と珠玉のコーラスでぶっ続けるだけの甘ったるい甘ったるい曲のリディム‥トラック使ったダブなのだ。
「Satan's Dub」を何回も繰り返して聴いて飽きたら、ヘプトーンズの方を何回も繰り返し聴き、それも飽きたら、「Mama」+「Satan's Dub」セットにして、またもや、何回も繰り返し聴く、という、音楽的に明らかに悪魔的行為をオレは行うわけである。確かに魔王サタンを名につけるだけある。まあ、それだけ気持ちエエのってなんのって、ちゅうことである。
特にプール帰りのクルマん中で聴いてると、重いリディムに筋肉疲労がもわあああっっと全身に広がり、硬直化した身体が柔らかくなるような気がしてエエ感じです(かなり、誇張して書いてみました、こうでもせんと・・)
で、上のアルバムの「Satan's Dub」以外の曲はどうかというと、印象にまったく残っていないわけである。
で、言うまでもなく、こういうこと書いても、おそらく、フツーの人はもちろん、レゲエの好きなヤツ、ダブの好きなヤツの98%は、「何書いとんねん、おっさん」ということになる。
ダブというのは、好きな曲を再び新たな好きな面を発見させてくれる、一つの方式でもあるわけである。
首相が靖国参拝してくれたので、きっと良い年になるでしょう、日本は。オレはわからん。
紅白、あまちゃん登場シーン見逃す。大晦日、新しいHD買って、OS X Mavericks、クリーンインストールしようと思ったのが失敗だった。
昨年は更新がくんと減ってしもうた。ひいきの球団が最下位だった、というオレの人生で最悪レベルの事態が最大の原因であるが、音楽がらみだと、またもや、レゲエ症候群がぶり返し、それもダブ熱という根が深い深い病におかされてしもうたことが大であろう。それに一昨年から4枚組ボックスがばんばん出るわ、死んでいたプレッシャー‥サウンズが再び、古いダブ発掘しまくり始めてるわ、まあ、音楽の感想文、いろいろ書いてきたがオレにとり、一番難しいのは、ダブの音楽感想文である。
オレの場合、コアなファンとちごうて、ホンマ、ダブというものをパーシー・フェイス・オーケストラやフランシス・レイ楽団みたいな「イージーリスニング」のひとつ、として聴いてるようなのである。流して聴いて、気が向いたら、気に入ったヤツ永久リピートさせて聴く。気に入ったダブもダブとして好き、というより、元唄が好きだとか、リズムトラックが好き、の方が遥かに強い。キング・タビーであろうがサイエンティストであろうがプリンス‥ジャミーであろうがかまへん。レヴォルーショナリーズであろうが、ルーツ‥ラディックスであろうがお構いなし。時代は70年代だったら、まあ、たいていのダブアルバム買っても、損したとは思えなくなってしまっているほど重症である。
例えば、まあ、最近買ったアルバムで下のヤツがある。もう、ルーツ‥ラディックス、にatつけてるのは、伝説の「ミッドナイト‥ロック」。ジャケット良し、録音はチャネル‥ワン、ジャー‥トーマスというダンスホール前史の大立者がプロデュース、エンジニアにキング・タビーとサイエンティストの名がついている。ちょっとレゲエやダブ知っている人ならば、それだけで、「美味しそうな」アルバムであろう。
The Roots Radics At Midnight Rock
これの8曲目、「Satan's Dub」というオドロオドロしい名称の曲があるが、これが、なんと、大好きな大好きなヘプトーンズが60年代ステューディオ・ワンでやった「Mama」というママ、ママ、どうか、あの人んとこ行かせて、あの人が来いっていうの、という歌詞を延々と珠玉のコーラスでぶっ続けるだけの甘ったるい甘ったるい曲のリディム‥トラック使ったダブなのだ。
「Satan's Dub」を何回も繰り返して聴いて飽きたら、ヘプトーンズの方を何回も繰り返し聴き、それも飽きたら、「Mama」+「Satan's Dub」セットにして、またもや、何回も繰り返し聴く、という、音楽的に明らかに悪魔的行為をオレは行うわけである。確かに魔王サタンを名につけるだけある。まあ、それだけ気持ちエエのってなんのって、ちゅうことである。
特にプール帰りのクルマん中で聴いてると、重いリディムに筋肉疲労がもわあああっっと全身に広がり、硬直化した身体が柔らかくなるような気がしてエエ感じです(かなり、誇張して書いてみました、こうでもせんと・・)
で、上のアルバムの「Satan's Dub」以外の曲はどうかというと、印象にまったく残っていないわけである。
で、言うまでもなく、こういうこと書いても、おそらく、フツーの人はもちろん、レゲエの好きなヤツ、ダブの好きなヤツの98%は、「何書いとんねん、おっさん」ということになる。
ダブというのは、好きな曲を再び新たな好きな面を発見させてくれる、一つの方式でもあるわけである。
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