2012年3月25日日曜日

3月24日

冷えが戻ってきたのは、いいが、陽射しはすっかり春なので、クルマに乗ると、窓閉めたら暑いし、窓開けたら寒く、温度調節が難しい。 
もうすぐ、プロ野球開幕である。東京ヤクルトスワローズには、今年も、ガンバって欲しい。 

昨年は・・・、「勝った」「勝った!」「勝った!!!、優勝間違いない!」(夏ごろの話)、と心の中で確信しまくっているのに、他球団のファンのかた、特に阪神タイガースファンの方から、「もう(優勝)間違いないわ」と云われたら、わざと、全然心配していない「あたかも心配そうに見える」要素を挙げて、「・・・まだまだ、わからへんでぇ」と心中ウシシシとほくそ笑みながら、無理やり、顔を曇らせたりする芸の細かさぶりである。そんな、不誠実なことしたらアカン。 天網恢々疎にして漏らさず、お天道様はちゃーんとみてらっしゃる。



終盤、「負けた」(阪神に一番大事な所で4連敗)「負けた」「負けた」「ふぅ」(中日に追いつかれる)「はぁ」(何となく負け続ける)「あーあ」(中日にマジック点灯)「あ~ーーーーーー」(リーグ優勝逃す)「おっ!」(プレーオフで讀賣に勝つ)「・・・・・」(やっぱし、プレーオフでも中日に負けた時はホンマ言葉が出てこなかった)。 まあ、世間知らずの純情青年が手練手管に長けた年増の中日にエエようにされた、ちゅうところですな。

シーズンオフ、ユーロ安に乗じて英Amazonから、「ロック」のCDを大量に買い込んだのも、酒の飲めないオレなりのヤケ酒みたいなもんだった。

まあ、今季は、青木もおらんことだし、優勝なんちゃらという生臭い状態にならないと思うので、試合の勝ち負けより、若手の成長を見守って、いきたいところだ(そういえば、昨年の今頃もそう思ってたりしたっけ)。 

ま、正直、スワローズは今のところ、フツーに野球やって、優勝できるようなチームではまだありません(必死にやったら、ちょびと可能性がありますが)。

金にあかしてエエ選手とりまくったチームの他球団の関係者のみなさま、昨年のような、わざと、采配ミスとかして、スワローズを首位独走させるようなことは、しないでいただきたい。お願いします(注「金にあかしてエエ選手とりまくったチーム」は讀賣のことだけじゃありませんよ)。

2012年3月19日月曜日

人生幸朗・生恵幸子


  


  やっぱ、オモロい。

  あと、見逃せないのは、生恵幸子師匠のキレぶり。このころのは、いつも、ツッコミしているが、もっと以前のヤツは、ふんふん、と人生幸朗氏のぼやきをやさしく、おなしく、聴いていて、最後、イキナリ、激ギレ(暴走しまくる人生幸朗師匠に終わりの時間が来たことを教えるためだったそうである)するので、そのあまりの落差に、びっくらこいたものである。

  初心忘れるべからず、とかカッコつけるつもりないが、この、人生幸朗師匠の精神で、音楽を聴いていきたい。
 
こっちなんか、ピンクレディーの振りを交えてる。スゴいなあ。




2012年3月17日土曜日

Feb. 10th, 1982 in St. Thomas, Jamaica with Aces International Hi-Fi

もうすぐ春ですね、ちょいと気取ってみませんか、ってなもんで、今日は雨だが、生暖かかった。

ああ。そういえば、「今年は70年代ロック、聴くんだ」と年初め、思っていたんだっけ。もう、忘れちゃった。
モントローズのすべてのアルバム、聴きました。肩が凝りました。
ビー・バップ・デラックスも5枚組のアンソロジー全部、聴きました。肩が凝りました。

なんか、あれば、感想、例によって例のごとく、ここへ、ダラダラ書いただろうが、「あー音が鳴っとるなぁ」ちゅう感じで。好きな方には申し訳ない。ロックはやっぱ、肩こりますわ。えへっ。


クルマで、イエローマンの「Live At Aces Feeding In The Dancehal」(Feb. 10th, 1982 in St. Thomas, Jamaica with Aces International Hi-Fi)を聴く。肩のこりが、すーーーーーと抜けていきました。

例によって例のごとく、こっから、ダラダラ思いクソ、書くんで、興味ない人は、そのつもりで。また、かなり、データ的に間違ったこと、誤解している部分はあると思うが、オレの感じたことは、そのまま、だから、そっちの方に重きを置いていただきたい。

1982年、エイセス・インターナショナルでのRUB A DUBのライブである。
ちょっと前書いた、英国産のアスワドが81年やUB40のファーストが81年だから、ほぼ同時期にあたる。これらのUK産も、もちろん、好きなアルバムである。でも、このイエローマンのライブと比べると・・・・。


Live At Aces: Feeding In The Dancehall (with Fathead)
(今回は
アナログ時代を含め、もう、何回聴いたか、知れない。飽きるが、飽きたら、また、飽きがおさまるまで、何年か、待って、また、聴きまくる。人生のサイクルちゅうやつだ。まあ、この手のRUB A DUBのライブは他にもあり、雑音にしか聴こえない人もいるだろうが、オレはかなり聴き込んでしまう、タイプである。
(↓のような感じ フィジカル、フィジカル、の方ね)




さて、このライブ、4曲目と5曲目は「Mighty Diamonds Selection」という曲名になっているが、マイティ・ダイアモンズというコーラス・グループの「パーティ・タイム」というレコード(厳密に云うとダブ・プレートという盤なんだろうが)をかけながら、イエローマンがその曲に声をかぶせていく、平たく言えば、カラオケでオッサンが「氷雨」唸る、ような感じであろう。

4曲目は、マイティ・ダイアモンズのヴォーカルが入ったレコードをちゃんとかけて、イエローマンはゆうなれば、曲の紹介と曲が始まってからは、あの珠玉のコーラスの合間合間に「えいっ」とか「むーん」「かみせらーだ」とか合いの手を加えながら、マイティ・ダイアモンズの「パーティ・タイム」の美しいヴォーカルを思う存分、ワシらに堪能させながら、徐々に盛り上がってく。

5曲目(ちゅうても境目は無いのだが)に入ると、イエローマン全面に出てくる。今度は「パーティ・タイム」のシングルの裏面のカラオケトラック(ヴァージョン、と云う)に替わり、そっからは、天才Djイエローマンの独断場である。

イエローマンの憎いところは、この美しい「パーティ・タイム」のリズムトラックに、ゆったりと、声をリズムにのせながら、より気持ちいい(ただし、歌っている内容はなんか、めちゃくちゃワイセツなような気がしないでもない)。イエローマンが終わっても次は別のディー・ジェーが別の内容のトーストを乗せる、それが終わったらまた、別の・・・ただし、あくまでも、バックに流れているのは、マイティ・ダイアモンズの「パーティ・タイム」の演奏部分、つまり、カラオケである。





まあ、これだけの日本で言うところの「カラオケ大会」、みたいなのが、当時、いかに最先端で、ラジカルで、あったのか?

・バンドの替わりをレコードプレーヤーとレコードで行ったこと


これは当時もなにも、それよりずっと昔から日本でも、いわゆる「口パク」ちゅうやつでやっていたわけであるが、


・オリジナルの歌詞にとらわれることなく、そのリズムに沿って、誰でも、自由に歌ったり、ディー・ジェー(いわゆるラップのことなのだが、)できたこと

オリジナルが、暗い暗い黒人の奴隷時代からのあれやこれやの歌詞であったとしても、そのリズムに、極端な話、人種差別の歌詞ないしはおしゃべりをのせるヤツがいたら、その曲は、黒人排斥の歌に変わってしまうのである。逆にというか同様にというか、美しい愛の歌だって、別の歌詞をのせれば、立派な白人支配に反抗し続けるラスタ賛歌にもなるわけである。



そして、これらのことができるということは、誰でも(もちろん、それ相応の力はいる)できると同時にどんな曲でもできる、わけである。
もちろん、声がのせにくいと話にならないから、その曲は「リズムがしっかりしていないと」アカンのである。
しかし、しかし・・・嗚呼・・・。「リズムがしっかりしていない」曲を「リズムのしっかりした曲」に変えること、なんぞ、ジャマイカの音楽環境下においては「お茶の子さいさい」なのである。
それに加えて、かてて加えて、ジャマイカ独立以降、膨大な数の「リズムのしっかりした」良曲のストックがある。
(これの歴史については、固有名詞挙げていくとトンデモないことになるし、オレも混乱してしまうので、はしょる)


最強のバンドと至上の女性コーラス隊をバックにしてカリスマ的な人間が練りまくったオリジナルの歌を歌う、ボブ・マーレイ的な「レゲエ」の呪縛から解き放たれることになったのである。一つの「レコード」があれば、似たようなことができる(このへんもおおざっぱに書いてます)わけである。んっちゃちゃ、んっちゃちゃのレゲエ特有のリズムにとらわれることも、ないのである。

このしくみで、イエローマンは、70年代終わりから80年代初頭にかけて、膨大なレコードをリリースする。下ネタもやれば、コアなネタも自由自在。
かくして、ジャマイカの音楽は、その歴史の丸ごとの中から、いい音(リズムトラック)を選び出しては、カッコ良くして、そこいらの兄ちゃん姉ちゃんおっさんおばはん、爺さん婆さんから「才能」をかき集め、束になって、次から次へと気持ち良い音楽を生み出していくのである。

まあ、ほんま、ジャマイカの音楽のジャマイカの音楽、ジャマイカの音楽したところを書こうとすると、長々してしまう。

今日紹介した上のアルバムはその時の「熱気」、ボブ・マーレイという特別な「個人」じゃなく、ジャマイカが歴史ごと、束になってかかってこようとする、その瞬間の「熱気」が感じられる、ちゅうことですわ。


イエローマンはジャマイカでは差別を受けることが多いアルビノであったため、幼少期に両親に捨てられてしまう。島内の孤児院を転々とした後、多くの音楽家を輩出していることで知られるキングストン市のアルファ・ボーイズ・スクールというカトリック系私立学校で教育を受けた[2]。

U・ロイやボブ・マーリーに影響を受けたイエローマンはディージェイを志し[2]、他の多くのディージェイと同じように、ジェミナイ、ブラックスコーピオ、エイシズ、キラマンジャロ、ブラックホークなどのサウンドシステムでトースティングの技を磨いた[3]。1970年代後半にはテイスティ・タレント・コンテストというタレント・コンテストで優勝し注目を集め[4]、1980年、「Even Tide Fire」でレコードデビューした[5]。
[From イエローマン - Wikipedia]

(日本語のWikipediaで「イエローマン」があった!!!!)

2012年3月15日木曜日

アイドリング!!!の難解さ

ちょうど、昨年の今頃か、YouTubeで、アイドリング!!!の小泉瑠美を発見したのは。ワンフレーズであんなに笑えたことは幸せだった。

  で、久々にアイドリング!!!ネタ。

  オンデマンド、月単位で契約したが、あんまし、観てなかったので、ちょっと観てみた。
  やっぱ、7号谷澤恵里香と8号フォンチーの卒業はオレにはデカかい。  残っている今の一期生は、歌が上手過ぎる3号遠藤舞は、なんか老成しはじめ感すらみえはじめ、6号外岡えりかはエエ女になったが、あの無邪気さ無鉄砲さは失われ、アイドリング!!!の不動のエース9号横山ルリカは、時折、IBぶりを発揮するものの、美貌に拍車がかかり、なんか妖しい雰囲気すら漂わせている始末だ。ワシらみたいな人間には、ちょっと近寄りがたい感じ。

谷澤恵里香の何をやってもスベるというキャラ(5号滝口ミラで完成し、滝口卒業後は、谷澤恵里香がそれを芸術にまで持ち上げた・・・ちょっと言い過ぎ)やフォンチーの「黒」キャラが成長した姐御キャラは、貴重だった・・・・というか、まあ、そうしたキャラは、24号野本愛と17号三宅ひとみが、継承していくのであろうが。
ぶっちゃけ、それよりも何よりも、谷澤恵里香、フォンチーというアイドリング!!!の二大巨乳が失われたことは、この5年間、メンバーはおろか、MC升野英知、番組スタッフまで、お色気やセクシーさを何故か排除しまくっているアイドリング!!!に、尚も、それをほんのちょびっと、求めてみたいオレとしては、淋しいこと限りない。
26号尾島知佳、しかいないのだろうか? でも、まだ、17歳だから・・悪いがオレは17歳の小娘に「邪心」を持つこと自体罪悪感を感じるタイプなのだ。

  あとルックスでいうと、オレ個人でいうと、一期生3人を除くと(やっぱ、好きや)、13号長野せりな、19号橘ゆりか、25号後藤郁がいいなぁ、と思ったりするのだが、何故か彼女らの扱いが粗雑過ぎる気がするが、オレの気のせいかもしれん。

  さて、久しぶりに観る番組、アイドリング!!!は相変わらず、「難解」である。  ふうん。今はもう、五期生が入っているのか・・。と、思いつつ、ルックスやスタイルより、相撲は誰が強そうかな、と変な基準で4人の五期生を「品定め」している自分に気が付く。

アイドルグループ、否、若い女性の集団に対して、こんな視点に立ったことは生まれて初めて、である。こういうところが「難解」なのである。
  今のところ、29号玉川来夢が「心技体」、強そうな気がするが、アイドリング!!!ちゅうのは、成長期とぶち当たっているたのと、何故か体重を貯えやすい環境にあるため、まだ、まだ、わからん。こういうところが「難解」なのである。  
そいで、オンデマンドのヤツ、観たら、なんか、番組AD3人のラブストーリーやっていた。女AD一人を巡り、二人の男ADが取り合いをするという「実話」ドラマで、アイドリング!!!の面々は観てコメントする、という「難解」なドラマなのだが、何故か、こんな、ぐじゅぐじゅの企画の癖に、ことのほかオモシロく、二本目の最後の方では、当初そうは思えなかった女性ADがカワイく見えてきたりしたりする。・・・わけわからん。難解だ・・・・、ま、難解もクソも、まあ、なんとなく、コアなアイドリング!!!ファンやアイドリング!!!メンバーやアイドリング!!!スタッフ関係者向けという感じがする。

  昨年の今頃、アイドリング!!!の存在すら知らないオレが、ぬるいぬるいアイドリング!!!一期生時代のグダグダぐふぐふのヤツを、YouTubeで、ぼんやり観ているうちに、強引に力づくで番組に惹きこまれてしまったパワーは残念ながら、今のには、無い。
  それは、2号小泉瑠美という何もかもを突き抜けて、こっちのハートを直撃に来るパワーを持った天才の存在の有無ということだけではないような気がする。

  まあ、フツーのファンをマニアックなファンやコアなファンにすることも大事だと思う。まあ、今の時期はそーゆー「戦略」(アイドルグループのファンの人たちは、なぜか、このコトバが好きなので使ってみました)で行くということ、なのだろう。


  そいと、いつのまにか、あの16号菊地亜美のファンになってしまっている自分に驚いた。シャレでやってた「セクシー」が板についているもん。さすが、小泉瑠美泣かしただけのことはある。

2012年3月5日月曜日

UB40 - "Madam Medusa"

こういう記事(http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120303/lcl12030307500002-n1.htm)を読むと・・・・・。
こうゆう時、ハシズムどうのこうのと云っている連中は、それでも、こうした方々を放置する前市長のやり方の方がエエと云うのだろうか?、それとも、国歌国旗問題とからめて、「タトゥーは憲法で保証された表現の自由の一つで、思想弾圧である」とか云って、法廷闘争に持込むんだろうか? ・・いつものように、朝日新聞では報道すらされず、「無い事」にされているが。

  この前のアスワドに続いて、今度は、UB40の「サイニング・オフ」(1980年)を聴く。いつの間にか、CD2枚組+DVDのデラックス・エディションが出てたもんで。 

英国の失業保険給付書をそのまま段ボールに貼った(体の)ジャケットは、そりゃびっくらこいたものである。  ボーナストラックに入っている13分に及ぶ「Madam Medusa」にハマる。 ヴォーカルの入ったバンドの演奏で始まり、後半、ダブ+パトワ丸出しDJが加わり、わけのわからん世界が広がっていくのであーる。当時は12インチシングルでしか手に入らなかったこの曲が入っているだけでも、「デラックス・エディション」の元は取れた気がする。





"SIGNING OFF 30TH ANNIVERSARY SPECIAL EDITION (LIMITED) 2CD /DVD (NTSC)" (UB40)


同じ英国のグループとは云え、この前書いたアスワドはざっと云えば英国のジャマイカンコミュニティから出たグループ(マトゥンビやスティール・パルスやら)、UB40はどっちかというと、パンク〜ニューウェイブに連なるグループというニュアンスでオレは聴いていた。

前者がやはり、ラスタファーリズムの影響を強く受けていたの対し、UB40は自分らの目の前の問題をレゲエにしていて、グッグッと身近に感じられたものである。  スリッツやクラッシュやP.I..Lがレゲエというかジャマイカの音楽の膨大な方法論の中から部分部分を「美味しいとこ取り」したのに比べ、UB40はレゲエをそっくり「丸ごと」忠実に使ったわけである。

当時は2トーンブームの最中であり、スペシャルズやらマッドネスが「スカ」をそっくりそのまま使ったのに似ている。

  ただ、ニューエイジ・ステッパーズの時と同じく、自分でジャマイカの音楽買えるようになっていくに連れて、どんどん、聴かなくなっていった。当時のジャマイカでは、70年代殆ど呪縛していたボブ・マーレイコンプレックスから解放され、チャネルワンが全盛で、60年代から累積されていた豊富なリズムトラックを使いまくり、あるとあらゆるシンガーやDJが乱舞しとる状態で、そんな音を聴き始めると、UB40の音は、やはり、見劣りした。UB40が悪いのではない、「資源」の問題である。ジャマイカは資源が豊富すぎた。

UB40はその後、「Labour Of Love」シリーズで古いジャマイカの音を新しく解釈しなおし、ジャマイカの音楽の大半が実は難しくもなく、ややこしいもんでなく、フツーの人がフツーに聴いても良いと思うフツーの音楽であることを知らしめたり、プレスリーの「好きにならずにいられない」のレゲエ版で大ヒット飛ばすが、今は破産しとるみたいである。

2012年3月1日木曜日

アスワドの「Ways Of The Lord 」と「It's not Our Wish」

橋下徹・大阪市長が市役所内に入居する職員労組に事務所の退去を求めている問題で、市労働組合連合会(市労連)など5団体は、3月中に一時退去することを決めた。市から不法占拠で提訴されることを避けるため。市労連は「退去通告は労働者の団結権の侵害」とし、今後、大阪府労働委員会に救済を申し立てて入居の正当性を主張する。
[From 大阪市労連、庁舎一時退去…来月中に : ニュース : 関西発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)]
他の町の話だ、こんなのどーだっていい。
けど、情けない。情けなさすぎる。

ネットは上だけだが、 朝日の29日朝刊(13版)では 「一時退去はあくまで自主的判断。弾圧に徹底抗戦し、再び市庁舎内に事務所を構えたい」との市労連幹部のコトバが紹介されていた。
・・・あまりにも情けない。

シリアの連中に聴かしてやりたい。

今まで、猶予されてた家賃払うか、払いたくなかったら、出ろ、と自分たちの気に食わない市長に、いわれることが「弾圧」、「大阪府労働委員会に救済を申し立」てること、つまり、他人に言いつけることが「徹底抗戦」となるのだろう。レーニン廟からレーニン生き返ってきて夢枕に立つぞ。


オレは10年年上の団塊の世代の方々がメチャクチャやってくれた影響で、左翼もサヨクも大嫌いだが、フランス革命から、ホンマに体制から「弾圧」され、それでもなお、命がけで「徹底抗戦」し、なおかつ、亡くなっていた数多の人々に心から同情する。

お口直しというか、お心直しに、英国はノッティングヒル(1950年代ジャマイカ系移民による大規模な暴動があった)、そこの出身のASWADのNewChapter(1981)聴く。 

ASWADがまだゴリゴリのラスタファーリズムに影響されていた頃のヤツだ。でも、音の気持ちよさは、もうなんちゅうたらいいのか。

CD持っていなかったので買ったら、このアルバムで「アフリカン・チルドレン」並んで、いやそれ以上にオレが好きな、「Ways Of The Lord 」の12インチ用ロングバージョンとそのダブが入っていて、めっちゃ得した気分。  かなりシビアな内容の歌詞をかなり景気よく(上の大阪市のエピソードはあまりにしみったれ過ぎている)聴かせてくれる。

Aswadも90年代、開き直って、世界的なヒットを飛ばすようになるのだが(「Don't Turn Around」や「On And On」も大好き)、この頃だって、根つめた曲がある一方、どうしようもなく美しく気持ちエエ曲もたくさんあるんであーる。 

アスワドで一番好きな「It's Not Our Wish」(「Show Case」入っているヤツ)聴こうっと。
"It's not our wish that we should fight but it's our wish that we should be free, equal rights stands for all, equal rights that's all we want"だぜ!!



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