2007年6月26日火曜日

アマゾンで買う

 アマゾン・ネタ、ちゅうても、実際は、オレがアマゾンで買おうと思っているヤツをここで、リンクして、オレ自身がそのリンクをクリックして、注文かける。そうすると、買った価格の3%が、プールされ、四半期単位でいくらか貰える・・・んだが、2000円のCD売れて、60円アフェリエイト、ちゅうレベルだと、実際貰える単位2000円分貯まるまで、万里の長城並みの気が遠くなるほどの期間がかかる。    ま、ウチみたいなアクセス数が少なく、しかも、あんましフツーの人には売れそうにない昭和歌謡のCDとか紹介しているんだから仕方ないか。 ・田中優子の新刊   平岡正明氏曰く「心にいれずみ入れている」田中優子 のは、クソ高い学術書以外は、まあ買うことにしとる。オレより年上だが、カッコええ方である。  40過ぎたらオレは、夜な夜な祇園 で豪遊する人生を歩んだつもりだったが、48才時点で、恥ずかしながら、未達成、である。悔しいから、田中優子読んで勉強しとるわけである。
芸者と遊び―日本的サロン文化の盛衰 (新書)
・矢作俊彦の新刊 サムライ・ノングラータ1,2 ご存知、俊ちゃん の新刊(司城志朗氏との共著)であるが、これって、マンガじゃなかったかな? と思ったら、「傑作海洋冒険小説「海から来たサムライ」を著者自ら大幅に改稿」だそうだ。この人、「大幅に改稿」すると、何故か、かえってオモシロくなくなっていた・・・ちゅうことが何回かあったが、自身による「リメイク」と思えば、それもまた、楽しからず哉。  
サムライ・ノングラータ I (文庫)

サムライ・ノングラータII (文庫)
・児島美ゆきのCD  ・・・これは・・・買う・・・いや・・・買わねばならない。もちろん、児島美ゆきより、例えば、どっと出始めた、やまがたすみこ、とかの再発を買った方が音楽的にいいのはわかっている。でも、買わなあかんねん。それが、実写版「ハレンチ学園」が作られるときに、妄想を膨らませ、メッチャクチャ興奮した小学校時代のオレへのブルースなのだ。 児島美ゆき70’コンプリート・シングルコレクション ・應蘭芳の歓喜歌謡完全版  これは発売時から、ずっと、カートに入れっぱなしになっとった。けど、まあ、せっかくだから。 歓喜歌謡完全版(紙ジャケット仕様) ・Hotwax presents 歌謡曲名曲名盤ガイド 1960’s 1960-1969  まあ、これも、しゃあないわなあ。1970年をキリにして欲しかった気がするが、1960年のも、どんなのあったか、知りたいし。    
Hotwax presents 歌謡曲名曲名盤ガイド 1960’s 1960-1969
 以上で一万円強。その3%分、300円が何四半期後のことかわからんが、戻ってくるわけで(わかっとる、セコい、シワい話をオレは今している)。一人ではたった300円だが、1万人がこのページからクリックしてアマゾンで買えば、300万になります。そこらへん、わかっちょるね? 一人は万人のために、万人は一人のために、ちゅう精神。  ちゅうことで。

2007年6月24日日曜日

You Tube「さよならを教えて」三発

昨日、珍しく、大勝したかと思ったら、今日は逆転満塁ホームラン打たれて負けとる 。溜息が出るが、ぜいたくは敵だ、こういう毎日を17年間も耐えた人々がおるのである。

 ようやっと、「何かいいことないか子猫チャン 」を手に入れる。ウッディ・アレンはあまり好きではないが、ピーター・セラーズは大好きだ。
 これは、裕次郎の「狂った果実」同様、80年代ヴィデオで観て、しまった!と思った作品のひとつである。めちゃくちゃ笑えるというもんじゃないが、そいで、充分。

 こっそり思っているのは、映画とか音楽とか、実は60年代のもんで充分やないか、ということだ。70年代、80年代、そいで今、と、どんどん時代は進んでいくように思えるけど、その実は、ちょびっとずつ、余計なものがどんどん加わり、別の楽しみは増えたかも知れないが、映画や音楽そのもののオモロさちゅうのは、退化していっているんじゃないか、とか。

 さて、むつかしいこと書いたらしんどなった。またも、週末見つけたYou Tubeでお茶を濁して終わろう。

 昔書いた戸川純の「さよならを教えて」。




 強烈である。
 ちょっと前、某歌手が、看護婦さんのジャケット出した時、何かが思い出せそうとして、思い出せそうになかった。そうか、これを当時テレビかなんかで、観たのであった。ワケわからんこと書いとるが、まあ。
 戸川純のスゴさちゅうんは、狂気を装っているフリをしてるうちに、本物の狂気が飛び出してくるスゴさ、ちゅうところか。

 昨年、もうバカみたいに聴いた、フランソワーズ・アルディ のヤツが無いかと思ったがみつけられず、多分お歳をめしてからからのヤツ、それも、1分間だけのがみつかった。60年代の「あく」がルックスから消え、枯れた感じになっており、それはそれで、すごくいい!





 ここから、You Tubeにある、フランシス・ハーディの60年代のヤツを探すのも多分楽しいのだろうが、オレは何故か、若くてキレイなねえちゃんが歌っている「さよならを教えて」に向かってしまった。





 歌い終わる寸前の笑顔にころっと、やれれてもたがな。フランス娘はやっぱ、垢抜けていて、エエのぅ。
 どうだってええが、フランス人も手拍子打ったら、何故か演歌っぽくなるんはなんでや?
 ま、画像の感じやらから、てっきり、70年代初頭と思ったら、つい最近のものらしい。
 このねえちゃん、つまり、Natasha St. Pierって、誰?
 ・・・と思って、調べてみたら、フランス娘じゃなくて、カナダ娘やねん。フランス系なのかもしれんが。


愛と苦悩の日記: フランスの人気実力派歌手ナターシャ・サン=ピエール(Natasha St-Pier)

  

 上記リンクで経歴とか見てたら、ちょっと引いてしもた。
 元に戻して、60年代の、シルビー・バルタンらとのやつ。




 そいと、さっき調べていたら、「さよならを教えて」のオリジナルは、フランソワーズ・アルディじゃないそうである。


さよならを教えて   (フランソワーズ・アルディ) 歌詞・訳詞など


『さよならを教えて』は Jack Gold 作曲  Arnold Goland作詞の作品でヴェラ・リン(Vera Lynn)が1954年に歌った It Hurts To Say Goodbye のカバーです。




 なるほど、な。元歌聴いてみたいもんであーる。
 You Tubeネタはしかし、バカみたいに時間がかかるもんやなぁ。

2007年6月21日木曜日

六月二十一日

 おっしゃるとおり。ツバメは狩られまくっとります。昨日は弱っている筈のライオンに狩られたし、それよりなによりも、今季は何故か、トラにひとりだけ、狩られております。  ま、心配せんでもよろし。愛犬の死、はい、まだ、ひきずってまっせ。愛犬最後の日、実は、まさか、死ぬとは思わないうちに、こてっと逝ってしもたからなあ、しゃあない。  だいたい、このところ、ご近所歩くだけでも、つまり、そこは、かつての愛犬との散歩コース、あれやこれや、思い出しては、涙、涙、最近では、もう、上を向いて歩いてますわ、もちろん、涙がこぼれないように。    家におるときは、つい、まだ、いつものところにおるような気がして、いつものように呼ぼうとして、声を出す寸前、もういないことを思い出し、そして、涙、涙、そして涙だ。  まあ、こういう時は思う存分、悲しんだ方がエエそうである。我慢するというか、カッコつけたり、忘れよう忘れようとしたら、アカン。そうやって、自分にウソついたら、アカンそうである。今はご覧の通り、急性ウツ病の症状を呈しておるが、変に今、悲しんでいなかったら、後で何かの拍子で、どっと来て、あれやこれやが複雑に絡み合い、「真性」になっちゃうこともあるらしい。ちょっとオーバーか。  とは云え、まあ、このサイトは音楽のブログ、この哀しみさえも、いや、こういう哀しいことがあればなおさらのこと、昭和歌謡を聴いて、乗り越えて行かなあきません。  このところ、よく聴いているコンピレーション「悪なあなた」とかは、ちょっと聴かれへん。なにせ、「ビッチ歌謡」、ビッチ=メス犬やもんなあ。もろ、あきまへん。そいで、低い方からどんどん歩を進めてくるような西田佐知子やらは聴く気がしない。そいで、ガラにもなく、明るく他愛のない、つまり、内容のあまりない曲、聴こうと思って、南沙織 の、「17才」 (昭和46年 作曲筒美京平 作詞有馬三恵子 以下歌詞より部分引用)聴いた。     ・・・あかんかったね。  思い出してもたがな。  「あなたの腕をすりぬけて、みたの」  愛犬は海が嫌いで、最近は滅多と行かないが、若い頃はそれでも、よく連れて行ったもんだ。  あの犬、何故か、猫には強いが、波がめちゃくちゃ怖いらしく、最初は我慢していたのだが、ひとつ、大きい波がざぶーんと来た刹那、めっちゃくちゃ反応して、とうとう、首輪を「すりぬけて」逃げてしまった。幸い、「誰もいない海」、追いかけたね。  「走る水辺のまぶしさ」、逃げるちゅうても、犬にとってみたら、ふざけているようなもんで、実は「早く強くつかまえに来て」ぐらいのかんじなのだが、こちとら、焦ってもて。しかも、中年男、砂浜走る、ちゅうのは、すぐに、はあ、はあ、ぜいぜい、実際、「息も出来ないぐらい」追いかけて走ったもんである。 おお。その時のこと、すっかり思い出してもたぞ。  しかも、1番の歌詞のおわりは、  「私は今、生きている」、だ。  ・・・・わぁーん。  一番の歌詞で、このザマだ。  二番にはいると、「動かないで、お願いだから」と、ようやっと、捕まえられそうな時のオレの気持ちを見事表現しているし、三番の終わりには、もうイヤがらせとしか思えないほど、「私は今、生きている」を何度も連呼しよる。  でも、あの時は、しんどかったが、オモロく楽しかったなあ。  南沙織聴いただけでも、これほど、思い出せるとは。かくして、昭和歌謡の奥深さを実感した次第である。  天地真理ぐらいにしといたら、良かったかな、テニスコートとかに犬連れてったことないから。  ま、私はいま、生きとるちゅうことで。

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