2009年4月9日木曜日

桜、満開

 桜、満開。

 スワローズ、まあ、ひやひやもんで勝つ。
 まあ、4番とエースを失って二年目のチームとしては、たいしたもんである。
 

 四月に入って、すぐにケータイ、iPhoneに変えた。画面がデカいとこが、一番。で、もう、いじりまくり。いやしかし、つくづくなんで、もっと早く変えなかったのか、後悔している。もちろん、自宅でもときおり圏外という状況には変わりないが、Air Macの環境があればネットに常時接続でき、電話以外、なーんでもでける。



 しかし、この季節、ゴールデン、特番というかスペシャルというか、そーゆーのばっか。今日は、今後、ぐるナイはもうみたらへんねん、と思った。3時間以上、ゲップが出るほどうんざりした。昨日は、ヘキサゴン、一昨日は、さんま御殿、全く同様の感想を抱いた。まあ、こうして、オレのテレビ視聴者としての「世間」は狭くなっていくのであるが。しかし、なんで、フツーの時間にフツーのメンバー集めてフツーにやったらオモロイのを、こうやって金かけて、だらだらやたら3時間越えの長時間(映画でも3時間越えたら超大作だ)にして、今後のその番組観る「意欲」まで失わさせるのか、わからん。まあ、所詮テレビ局の商売素人の他人があれやこれや云うことないが、つくづく、ケッタイなビジネスである。

2009年4月7日火曜日

おねだり!!マスカット初日

もう、アップされている。この速さ、いやしかし、ひたすら頭が下がる。




 あの小川あさ美が、あっさり、負けてしまう・・・。

  しかし、こうも、作られているのがバレバレであるのだが、ひたすらオモロイのは何でやろ?



 ストレートすぎるが、二期生の中では、山口愛美が気に入った。
 気に入った、が、もちろん、二期生全員に対して、無茶苦茶腹が立ってくるのが、不思議だ。一期生ガンバレ!、絶対に、次回こてんぱんにしたって欲しいものである。安藤あいかや佐山愛とか、今まで、どっちかというと、アレだったが、これを観た後、何故か、すごくカワイく思えている。
 来週もまたリアルタイムで観るぞ!



おねだり!!マスカット

 「おねがい!マスカット」の後番組「おねだり!!マスカット」、観る。まあ、テレビ東京の番組なので、パソコン越し、カクカク画面ではあるが。 新メンバー10名が旧メンバーにケンカ売りまくる展開。意外であったので、オモシロかった。YouTubeに二三日中に上がると思うので、ゆっくり見直すつもり。

2009年4月3日金曜日

2009年3月31日火曜日

舞鶴とれとれ市場へ行った。

 今日は、旧友だるまとんろう氏を会社サボらせて午後から無理矢理日本海まで。土日だと1000円の高速を平日の高い料金払って、贅沢なドライブである。しかし、三宮から実質2時間強で日本海まで行けるのである。いい時代になったといえる(ちなみに勝谷誠彦氏は今回の値下げについて怒りまくっていたが・・どんどん、ワケのわからん人になっていく)。
 舞鶴のとれとれ市場でとれとれのイカやらサザエとか焼いて貰って喰う。旨い。特にイカはホンマ刺身で喰いたかったほど旨かった。日本海のイカは旨い。
 だるまとんろう氏は牡蠣をノーマルのと岩ガキという今の季節でしかできない贅沢な組み合わせ。
 とれとれ市場のええとこはフツーの魚屋さんがいっぱい集まっていて、そこで好きなヤツを選んだら、焼くなり刺身にしてくれたりして、その場で喰えるとこであろう。相場よりちょっと高い目かもしれんが、それはそれ。


 ちょっと更新の間が空いてしもたが、先々週の土曜日お呼ばれした大学でのパーティ(お世話になった教授の退官記念事業だから行ったの)、アルコール抜きで出席したのはいいが、ウーロン茶を1.5リッターもがぶ飲みし、アルコール飲みすぎた以上に、帰ってから、体調を崩ししてしもた(と云っても、頭痛がして悪寒がして・・つまりウーロン茶飲みすぎて、体が冷え、風邪を引いたのである)のと、今月でいよいよ終了となる、おそらくTV史上最強の爆笑番組「おねがい!マスカット」に関しての何か書きたいと思ってあれやこれや書いている最中。わたしを窓辺に飾ってよ、いい花咲くよ、ちゅうことですわ。

2009年3月20日金曜日

三月二十日

 WBC、韓国にようやっと勝つ。もう、WBC=韓国戦ちゅうイメージがオレの中でできてしもたから、WBCそのものに興味がなくなってもた。失礼かもしれんが、往年の万年最下位スワローズ時代、讀賣戦だけは互角に戦っていたのを思い出す。あ、監督が讀賣生え抜きの原だから、か。

 なんと、そろそろ、桜が咲き始めてる。
 あしたは、大学の担当教授だった方が退任されるので、それのあれやこれや、に出席させていただくつもり。
 ホンマ、今も尚、「明日、ひとりで教養課程の授業に出ないとアカンので、憂鬱になる夢」はしょっちゅうだし、きわめつけは、「卒業間際、内定も決まり遊びに遊んでいるのだが、ちょっと気が向いて単位を計算してみると、どう計算しても卒業に必要な単位に足らないことに気がつき焦りまくる夢」だ。まあ、実際、それに似た状況だったのだが、無事卒業できたのも、すべて、先生のおかげである。実験主体の研究室にもかかわらず、楽しく過ごせたのも、先生のお陰である。
 
 話題は変わるが、なんと、「スローターハウス5」がとうとうDVD化されるみたいだ。大昔、テレビで観ただけなのだが、未だに鮮烈にイメージが残っている。もちろんヴォネガットの原作の映画化で、第二次世界大戦中、原爆投下と東京大空襲と並び大量の一般市民の死者を出したドレスデン空襲を捕虜だったため、被害者として体験する主人公の、それからの二つの人生を描いた、それはそれは、素晴らしい映画なのだ。
 まあ、奥さんがダイエットするわ、と云いながら、どんどん太っていくとことか、しょうもないことしか実は覚えていないのだが。

 "スローターハウス5 [DVD]" (ジョージ・ロイ・ヒル)

2009年3月18日水曜日

WBC:日本、韓国に敗退

プレッシャーでメロメロ。これで負けて終わりかと思いきや、また敗者復活戦があるらしい。なんか、なあ・・・

日本は、準決勝への残り1枠をかけ、18日(同19日)に行われる敗者復活2回戦で、キューバと対戦する。

[From WBC:日本、韓国に敗退 4強へ残る1枠かけキューバ戦 - 毎日jp(毎日新聞)]

男らしうに、負けたらきれいさっぱり、の、高校野球形式のトーナメントで今度からやったらエエ・・とか思ったりする。キューバに勝ってもまた、韓国とせなアカンのだが、どうも、なあ。シャキッと試合するんやったらええけど、気合い負けみたいな感じの試合、飽きてきたわ。

WBC、日本が負けたのだが、悔しくもなんともなく、こっちの方が嬉しい。もちろん、岩村と稲葉が今もなお、スワローズだったら別なのだが。

ヤクルトの石川が粘り強い投球で試合をつくった。二回以外は毎回走者を出したが5回1失点。13安打9得点の打線では、3安打3打点の宮本が目立った。

[From 試合結果 - オープン戦 - プロ野球 - 野球 - SANSPO.COM]

スワローズ、今季はAクラス目指して(少し、目標を上げました)頑張って欲しいものである。

2009年3月16日月曜日

弘田三枝子 Mico Is Back 1990年

 

"MICO IS BACK" (弘田三枝子)

 弘田三枝子(リンク先はwiki)ファンである。まあ、オレの音楽の嗜好は弘田三枝子に始まり弘田三枝子に終わると云ってもいいぐらいの存在であるからして、しゃあない。


 もちろん、「ヴァケーション」、1962年のこのとんでもない曲は、瞬く間にこの世を席巻し、当時辺境須磨で4歳児していたオレをも巻き込み、 デタラメにまっしゅぽてとを湖で踊ろう、と、叫ばせておったわけだ。今から想像するには不可能ぐらいスゴいヒットであったそうである。当時弘田三枝子は15才か16才。

 最近も、ステージでは、必ずといっていいほど唄われていたりする。

 仕方ない、みんな、弘田三枝子の「ヴァケーション」は大好きなのだ。コニー・フランシスがオリジナルのこの曲は、けしてリズム感溢れる曲ではない。それを弘田三枝子は、凄まじい当時の力で、もうなにか、別のスゴい曲に変えてしまった。クルマに例えると、曲そのものが軽自動車並の足回りとすると、当時の彼女の声、リズム感、ノリはまさに7.0LのV8エンジン 並の馬力とトルクなのだから、その走りのじゃじゃ馬ぶりが知れよう。

 しかし、彼女にしてみれば、どうなのだろう? オレなんかに例えると、高校時代の夏休みに作った工作を今も作らされ、高校時代に作ったものと比較され、同じようにできていないとか、あれやこれや云われるみたいで、少し複雑である。まあ、それでも、プロであるから、彼女は求められたら、唄うし歌い続けるのであろう。

 1990年に自主製作として作られたこのアルバムも、 全17曲中、13曲、彼女自身のヒット曲のカヴァーで占められている。オレのようなファンは、表現力の豊かさとか、「加点」ポイントを置いて聴くものだから、いい。ただ、残念なことに、びっくらこいた!、曲そのものを自分の中に取り込みたい!!とかの感動は、おきない。だって、それは、しょうがないのである。もう、既に、「取り込んでしまっている」曲ばかりだからだ。

 である。であるのだが。
 弘田三枝子は天才なのである。

 並の歌手が、年を経て全盛期を過ぎて、ファンである聴き手の「懐かしさ」に つけこんで、作ったアルバムじゃないのである。
 
  弘田三枝子は天才なのである。

 
 このアルバムの最後の曲は、オリジナルである「雪色のサンバ」(ボーナストラックで「思い出して」「別離」「雪色のサンバ(ポルトガル語版)」 の三曲が加わる)。

 「雪色のサンバ」!
 
  ど派手で仰々しいイントロが始まり、やがてリズムセクションがサンバのリズムを刻み始め、そして、弘田三枝子の歌が聞こえてきた瞬間、「雪色のサンバ」に、もう、完膚なまで叩きのめされた。そして、彼女の声がぐいっと伸びてきて、オレを耳から歌の世界に引きずり込む。久々の快感である。いつの時代の弘田三枝子ではない、まったく新しくなった、まさに1990年型、ブラン・ニュー、弘田三枝子なのだ。
 

 こな雪、男と女とかの日本語、パラレルワールド、モノクロームとかタペストリーの外来語、そして英語歌詞部分に「白い雪がふりつむ」加えたかなりぎくしゃくな、しかも、歌詞カードみただけでは理解しにくい歌詞(事実、歌詞カードだけ読むとなんのことかさっぱりわからん)を、まるで「川の流れのように」スムーズに唄い、しかも、曲がすすむにつれ、情景を伴った、豊かな世界が次から次へと現れてくるのである。実際、ボーナストラックの方の「雪色のサンバ」はポルトガル語版であるが、言葉はワケがわからんが、ほんま、何か世界が広がるのである。

 びっくらこいた!

 曲そのものを自分に取り込みたい、と思った。

 即、一曲リピートして、何度も何度も聞きかえした。

 この曲の直前、「私のベイビー」までは、それなりに、リラックスして、むしろ細部のいろんな唄い方の相違を楽しみながら聴いていたのだ。不埒にも、「昔はどすんとパンチ効かせたとこ、こんな風に処理してるんだな」とか思い上がった感想すら抱いたりした。
 
 すべては、伏線だったのだ!!
 
 今(1990年時点)の彼女の声にぴったりした曲を歌った時の、能力全開状態のスゴさに、圧倒された。いや、彼女の能力を超えた「何か」がそれに加わって、とてつもない曲になってしまっているのである。かててくわえて、彼女のキャリアすべてがその上にのっかかってくるのだから、聴き手のこっちとしては、うろ、が来るほどである。

 アルバムのこの曲に入るまでの自曲のカヴァーは、まるで、この曲をイキナリ聴いて、聴き手が、あまりにもびっくりしないようにの布石であったのか、とも思えるほどである。知っている曲を次から次へと歌ってくれたことで、大分、馴らされた。実際、最初にこの曲を聴いたら、多分、オレのキャパシティを越えてしまったであろう。

 まあ、このアルバム、ライナーを弘田三枝子ファンの「炎立つ」の高橋克彦氏が入魂のあれやこれやが書かれており、そのことも書きたいこと(高橋克彦氏は「別離」を35年で6000回も風呂で唄ったそうである。負けてられん!)あったのだが、今日はここまで。

 しかし、オレはいつになったら、弘田三枝子のことをみんなのように「ミコちゃん」と云えるようになるのだろうか??
 ともかく、弘田三枝子は今までの歌手の誰にも譬えられる存在ではない。時代時代、全く異なるジャンルの音楽にチャレンジして、それをモノにしとるのであーる。

 

 

 

2009年3月14日土曜日

ヤクルトが明治神宮を参拝し必勝を祈願 - 野球 - SANSPO.COM

ドブから出てきた人形拝むより、やっぱなあ。

ヤクルトは12日、高田監督や選手、チーム関係者らが明治神宮を参拝し、必勝を祈願した

[From ヤクルトが明治神宮を参拝し必勝を祈願 - 野球 - SANSPO.COM]

今年は4位以上をめざしてがんばって欲しい。

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