2021年4月13日火曜日

2021年4月13日

 東京ヤクルトスワローズ、まあまあまあ。

 前回、大瀧詠一「A Long Vacation」の悪口書いたら、天罰覿面、翌日、クルマ、だらだら運転してたら、いつのまにか、「くちびるつんととがらして・・」とか、「夏の影が砂浜を急ぎ足に横切ると」、とか、「君が手を回して・・・壊れたワゲン」とか口ずさみ始めた。

 当時、アホみたいに聴いたアルバムだ。それは、まあ、エエのだが、「カセットをまわしたぁあああ」とかなると、腹に思いクソ力こめて唸るしかなく、クルマの中で孤独感をひしひしと感じた。

 あわてて、Sleng Tengのワンウェイアルバム、Computerのワンウェイ、ぶっ続けで流し、ようやっと、「今」に戻ることができた。

 当時の須磨の、赤潮青潮黃潮で汚染の限りを尽くした汚い海に、老若男女入り乱れわしゃわしゃして、もう、アナーキーの域に達した海岸で、「カナリア諸島にて」で描かれる世界や、ロンバケのジャケットの世界を、味わおうというのは、土台無理であるし、かなり、自分にウソをつくか、アホにならんとできない。

 そして、当時のオレはウソつきで、アホであった。



「A Long Vacation」や村上春樹初期三部作は、明らかに、カッコ悪かった。

 ダサかった。

 「こういうのがオシャレだよね」感が、「ほら、みんなもオシャレになんないと」、感が強かった。

 村上春樹の主人公気取るのは簡単、神戸(阪神間)、で関西弁捨てて、エンタツ・アチャコみたいな関東弁しゃべって、ゲーセン行ってピンボールやったら、一丁上がり。

 矢作俊彦のように、「カッコいいだろ、でも、おまえらダサいからこっち来るな」「カッコいいだろう、でも、おまえら来るの遅かったな、もう、全部消えてしもうたがな」の方が信頼でけた。
 えーっと何を書こうとしてのだろう。

 たしかに、40年ほど経って、その、かなりグロテスクな「こういうのがオシャレ」感がうまい具合に熟成し大豆が味噌になるように別のもんに変化し、ごっそり抜け落ちてしまったので、オレを除いた方々や、当時いなかった方々に、単に「音楽」そのものとして、ようやっと、受け入れられているとすれば、それは、エエことだと思う。他人事みたいな言い方であるが、さすがに、もう、「他人」でいさせて欲しい。
 
 でも、まあ、楽しかったから、エエか。

 
 当時、やはり、クルマに松田聖子の「風立ちぬ」のカセットも常備品であったが、オレはキライだったんで持っておらず、同級生のクルマ乗るとむりやり聴かされ閉口したものであったが、数年前、ひょんなことから聴いて、なんといい曲だろう、と思った。

 当時の松田聖子のいやたらしさがごっそり抜け落ちて、音楽として楽しむことができた。

 こういう感じなのか?

     

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