Super Black Market Clash
クラッシュの1980年(あたり)の、アルバム。まあ、ごくごく素直に、ウィリー・ウィリアムスの名曲「Armageddon Time」カヴァーしたのは、当時、すごく新鮮だった。でも・・・
このジャケット!
目の前でわさわさうじゃうじゃ群れてる「警官隊」にたった一人、立ち向かう、ドレッドロックス。
カッチョいい!
いつかは、こういうシチュエーションに出逢いたい!
ところが、今、Twitter界隈ふらふらしとると、こうした構図が多い。ただ、さすがに2020年。逆転してしもうてるわ。
目の前にうじゃうじゃ群れてるのは、反抗がカッコエエと思い、自分たちが正義と思ってる「エエ者たち」で、ひとり立ち向かってるのは、今は、彼らから「悪」とされる価値観を持つ人である。
大勢で寄ってたかって、「正義」で、ボコボコにされてる。
みっともなくって、情けなくなってくるのである。
ロックはもともと群れてたから、まあ、しゃあない。和を以て貴しとなす、ロックの定義の一つである。
オレがイヤになるのは、パンクやレゲエの方々も、あっち側にしっかり、おられるみたいなのだ。
いつの時から、一人になることを怖れるようになったのだろう。特に、レゲエなんか、最初、だーれも、聴くヤツおらんかったのに。日本ではごくごく少数の方々が、「誰も耳を傾けない」「無視されること」「誰も集まらない」をデフォルトに、てめえが信じる、「いい音楽」いっちょうで、がんばってきたのを見ているだけ、余計に。
まあ、相手が、いくら強大な力を持つ相手かもしれんが、「音楽」なら、一人でも、群れなくても、勝てるだろう?
「音楽で、世の中を変える」・・・それすらも信じられなくなったのかい?
「政治」より、世の中変えられるパワーがある。
自分で言葉を考えず、どっかの他人に煽られ、どっかの誰かが使い古した言葉で、「怒った」ふりして、群れて数の力で世の中変えられるなら、たしかに、そっちの方が楽だろう。マスコミや野党のエラいヤツにも、褒められるだろう。でも、それは、単に、「どこぞの誰かの言いなり」・・・。
じゃ、なんで、「音楽」やっている?
意味ないやん。
まあ、エエわ。言い過ぎた、それが、あんたらの「カッコ良さ」なんだろう。そっちはそっちでやって。
オレは、まだ、「音楽のパワー」は政治なんかのパワーより遥かに凌駕する強さと大きさを持っているって、信じておく。ガキだもん。
(「音楽」を「演劇」「映画」・・その他に置き換えても、いっしょ)