2020年5月2日土曜日

2020年のラジカルな意思のスタイル 2




Super Black Market Clash


 クラッシュの1980年(あたり)の、アルバム。まあ、ごくごく素直に、ウィリー・ウィリアムスの名曲「Armageddon Time」カヴァーしたのは、当時、すごく新鮮だった。でも・・・

 このジャケット!

 目の前でわさわさうじゃうじゃ群れてる「警官隊」にたった一人、立ち向かう、ドレッドロックス。

 カッチョいい!
 いつかは、こういうシチュエーションに出逢いたい!
 
 ところが、今、Twitter界隈ふらふらしとると、こうした構図が多い。ただ、さすがに2020年。逆転してしもうてるわ。

 目の前にうじゃうじゃ群れてるのは、反抗がカッコエエと思い、自分たちが正義と思ってる「エエ者たち」で、ひとり立ち向かってるのは、今は、彼らから「悪」とされる価値観を持つ人である。

 大勢で寄ってたかって、「正義」で、ボコボコにされてる。

 みっともなくって、情けなくなってくるのである。


 ロックはもともと群れてたから、まあ、しゃあない。和を以て貴しとなす、ロックの定義の一つである。

 オレがイヤになるのは、パンクやレゲエの方々も、あっち側にしっかり、おられるみたいなのだ。


 いつの時から、一人になることを怖れるようになったのだろう。特に、レゲエなんか、最初、だーれも、聴くヤツおらんかったのに。日本ではごくごく少数の方々が、「誰も耳を傾けない」「無視されること」「誰も集まらない」をデフォルトに、てめえが信じる、「いい音楽」いっちょうで、がんばってきたのを見ているだけ、余計に。


 まあ、相手が、いくら強大な力を持つ相手かもしれんが、「音楽」なら、一人でも、群れなくても、勝てるだろう?
「音楽で、世の中を変える」・・・それすらも信じられなくなったのかい?
 「政治」より、世の中変えられるパワーがある。


 自分で言葉を考えず、どっかの他人に煽られ、どっかの誰かが使い古した言葉で、「怒った」ふりして、群れて数の力で世の中変えられるなら、たしかに、そっちの方が楽だろう。マスコミや野党のエラいヤツにも、褒められるだろう。でも、それは、単に、「どこぞの誰かの言いなり」・・・。

 じゃ、なんで、「音楽」やっている?
 意味ないやん。

 まあ、エエわ。言い過ぎた、それが、あんたらの「カッコ良さ」なんだろう。そっちはそっちでやって。

 オレは、まだ、「音楽のパワー」は政治なんかのパワーより遥かに凌駕する強さと大きさを持っているって、信じておく。ガキだもん。
(「音楽」を「演劇」「映画」・・その他に置き換えても、いっしょ)




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