巷間、オレの知らん間にいろいろ起きとるわけだ。まあ、ちょっと今回は、久々にアホなこと書いてみようと思う。真に受けないように。
村上春樹(wiki http://ja.wikipedia.org/wiki/村上春樹 )ちゅうのは、ええカッコしすぎるから、ちょっとどうかと思ってた。まあ羊三部作は芦屋のぼっちゃん達の話というから、まあ、神戸の極西ガラの悪いタチの悪い須磨、それも沿岸部の漁村あがりの下町で育ったオレとしては、「あのへんの連中は、ホンマ、ええカッコしぃやなぁ」とオモロく読んだ。以降の小説は芦屋のぼっちゃん達の話じゃなく、田舎者の話で、そいでも、同じノリでええカッコしてるから、読まなくなった。
まあ、知っている人は知っとるのだろうが、ちょっと前、エルサレム賞というのを取った。で、現地イスラエルで受賞スピーチをおこなったそうである。
すごく頑丈で高い壁があって、それにぶつけられて壊れてしまう卵があったとして、そして、その壁がどんなに正しくて卵がどれほど間違っているとしても、僕は卵の味方をする。
[From 壁と卵 より一部引用 全文訳が乗っているので 興味のある方はどうぞ]
うーん。「壁と卵」ちう気どったこというからわからんのであーる。
いろんなブログでは名言だ感動したこのスピーチは彼の最高傑作だブラボーブラボーなのだが、オレはアホなので、なーんのことかさっぱりわからんのである。村上春樹を大江健三郎みたいにしたくてしゃあない人たちにも意外にも好評であるようだった。どっちにしろ、どこの
国のなんの賞もらおうがもらうまいが、スピーチで何を云おうが何を云ったとしても、小説は小説、すばらしい小説はすばらしいし、カスはカス、実はどーでもええのである。それを重々承知の上、オレはあえて苦言を呈したいのである。
たとえば、こんなふうに。
「すごく強くてしかも大金持ちの讀賣巨人軍があって、それにぶつけられては壊滅的な敗北を繰り返すヤクルトスワローズがあったとして、そして、その読売ジャイアンツがどんなに強くてスワローズがどんなに弱タンの根性無しても、僕はヤクルトスワローズの味方をする」・・・・と、何故云えなかったのか? オレはスワローズファン(もちろん今はもうふぁんでもなんでもないのかもしれんが)としての村上春樹を糾弾するのであーる。
イスラエルが大嫌いな讀賣巨人に例えられるのを不快に思うなら、百歩譲って、阪神タイガースでも中日ドラゴンズでも横浜ベイスターズでも広島カープでも良しとしよう。
壁と卵・・・・こういうこと書くから、オレとしては、そもそも単に卵を壁にぶつけなかったらええやんとしか思わんのであーる。だいたい、フツー、卵は壁に投げるもんではなく、スクランブルエッグにしたり納豆に混ぜたりするものだからである。だいたい、食いものを粗末にするヤツは出世できないのであーる。だいたい、オレは卵を壁にぶつけたことは一度もない。多分、世論調査したわけでないが、全世界でも3%いるかいないかだろう。
百歩譲って、卵の割り方を知らない乱暴者が、ええい面倒くさいとばかり、玉子焼き作るために壁に向かって壁に投げつけて割るというヤツがおったとしても、あとで、まあ、ムダは多いが、殻の破片をひとつひとつつまみだしながら、壁にへばりついたぐちゃぐちゃになった卵を鍋なりボウルなりに集めれば、スクランブルエッグなりかき卵なりオムレツの良い原料になるだろう。それでも目玉焼きを食いたいとしたら・・・・うーん。壁を高熱にしておいて、投げ方を工夫すれば壁に玉子焼をへばりつかせることが可能になるかもしれん。あかんかもしれんが。まあ、それなりの工夫をせなアカンちゅうことである。そういうものである。
村上春樹が、「卵の味方」して、「玉子焼きできろ」といくら念じても、悲しいかな、あんまし影響はないように思える。
だいたい、村上春樹は神宮でスワローズ戦ところ見て、小説を書くようになった男(下記参照)である。まあ、よくは知らんが、今は、大金持ちだと思う。スワローズのおかげだ。この際、たとえ、イスラエルにおろうとも、ガザ地区におっても、現地での一人でも多くのヤクルトスワローズファンの獲得に努め、「恩返し」に徹する・・こういうやり方もあるのである。
「僕は作家になるんだ」と悟って体がふるえた時のことを村上はありありと思い出す。早春の午後の東京だった。日差しは優しく、そよ風が吹き、焼きイカの臭いがしていた。そして、野球ファンの応援の声が聞こえていた。一九七八年四月、村上は二九歳だった。彼は神宮球場の外野席に座って、ヤクルト・スワローズと広島カープの試合を観戦していた。アメリカ人デーヴ・ヒルトンの来日初打席だった。彼は二塁打を打った。その瞬間村上は、僕は小説を書けると悟った
[From 村上春樹の世界を歩く(千駄ヶ谷を歩く)]
まったく、すばらしいエピソードである。壁と卵のエピソードなどふきとんでしまう。・・・まあ、えらそうに、他人にあーせいこーせい、云うのは、アカンな。まあ、「大江健三郎」みたいにがんじがらめにならないように今後も小説家としてがんばってほしいものである。