スワローズ、勝つ。
しかし、前前夜、20点取られて負けとるので、素直に喜べない(といいつつ、めちゃくちゃ嬉しい)。
それよりなによりも、弘田三枝子が亡くなった(27日)。
いろんな方々が、いろんな追悼文を書かれているが、悪いな、弘田三枝子の「好き度」で云えば、オレが一番である。誰にも負けない。
ダラダラ書き始めると例によって例のごとく、オレの気の済むまでダラダラ書いてしまいそうなので、亡くなった時ぐらい、うまいことをバシッと書いて決めたい。
でも、「好き」、とか、通り過ぎてるからなあ。あるいは、歌謡曲や演歌に与えた影響やらは、「影響与えたから、エラい!」とか大嫌いな価値観だしぃ、第一、ガラじゃないしぃ。歌唱力が「天才」とかの褒め言葉は、それこそ、彼女が15ん時から、言われているし、「ヴァケイション」での「パンチ」、「可愛い嘘」での甘ったるく甘ったるく甘える歌い方やら、好きな歌い方挙げていけば、それこそ、終わらなくなるし。小林信彦や大滝詠一小西康陽桑田佳祐やらが褒めてたとかは「権威臭」ぷんぷんしてるし、だいたい、誰が褒めようが賞を獲ろうが、「今」、聴いてなんも感じないようなら、何の意味もない(但し、小西康陽については、「ダーリンオブディスコティック」弘田三枝子バージョンで見事蘇らせてくれたので、感謝しています)。
で。
ちょうど、今、どハマリしている「とある」シリーズ(とある魔術の禁書目録、とある科学の超電磁砲、アニメ、ゲーム含む)の主人公上条当麻について、「ありとあらゆる魔術師にとっての基準点」という表現があった。
上条当麻 - Wikipedia: "「すべての魔術師たちの願いと怯えが集約したもの」。より正確には魔術業界の総力のうち99.9%を占めるほどの力を有する「魔神」たちの願いの集約である。魔術とは極めれば世界を自由に歪められる力だが、歪めてしまった後に起きるかもしれない弊害は予測できず、元に戻そうとしても歪んでしまった世界では元の形を思い出すことができないかもしれない。だが、その影響を一切受けないものがあるならば、それを元にして元の世界を思い出すことができるかもしれない。そんな世界のバックアップとも言うべき「基準点」"
・・・・・・却ってわかりにくくなってしもうた・・。 そうなんである。弘田三枝子は、「基準点」なのである。
音楽を聴く上での、「基準点」なのである。
だから、どんなにたくさんの音楽聴いて飽き初めても、あるいは、どんなに同じ曲延々と繰り返して聴いても、オレの場合、「弘田三枝子」さえ、聴けば、そいで、ゴキゲンになれるのである。弘田三枝子以外にそんな、ミュージシャンはいない。
だから、別のミュージシャンのどんな音楽でも、聴ける。
だから、別のミュージシャンの同じ曲何度も何度も、繰り返しても、聴ける。
イヤになったら、弘田三枝子がある!
この心強さ!
今回の、弘田三枝子亡くなるというニュースは、それはそれはショックであったが、でも、弘田三枝子の音楽は、何一つ、変わらず、そこにあるのであると思えば、不謹慎だが、ちょっと落ち着く。
オレにとり、「基準点」と呼べるミュージシャンは、ずっとずっと、「弘田三枝子」だけ、なのだ。
そして、これからも・・・。
合掌。