いやしかし、また、人類として、「歴史に残る事件」に遭遇してしまった。オレ個人としては、震災以来か。
これが、みんなが大好きな「自然」というものの、恐ろしさである。
こういうとき、まあ、首相がどうのこうの国がどうのこうの県がどうのこうの市がどうのこうの、云うてもしゃあない。
ベストな方法なんか、わかっているヤツ、世界中どこにも、おらん。
人類の一人としては、より、リスクの少ない方、より、ベターな方と思える方へ、行動していくしかない。完全完璧な対処の方法、なんて、ありえないのだから。
でも、まあ、なんとか、生き延びたい。
2020年3月25日水曜日
2020年3月1日日曜日
令和2年3月1日
ロック聴きはじめの頃、ザ・キンクスに出会ってしまうと、かなり、その後の、ロック、ひいては音楽そのものに対する接し方が変わってくるのじゃないだろうか?なんとなくそんな気がする。
それはそれとして。
昨年、久々に、「SFマガジン」を買った。年遅れの2018年12月号。なにせ、「ハーラン・エリスン追悼特集」である。なにせ、ハーラン・エリスンの本邦初訳短編3つ入ってるのである。
だいたい、ハーラン・エリスンちゅうたら、小説を読む、というより、文字を通して、わけのわからん「熱さ」「ヤバさ」をビンビンに感じるもん、なんである・・・。小説のストーリーがわかんなくても問題ない、単語、濃密な文章が次から次へと紡ぎ出すイメージの洪水に身を委ねればいい。感じろ!
でも、遅すぎた。哀しいかな、今、エリスンは、オレにとって、もう、過去形にしなければならない。今回の3篇共、もう、「熱」を持って、読めなかった。
ま、エリスンがの今までSF、イモばっかじゃねぇか!ばかやろう、とSFそのものに喧嘩売りまくり、ぶっ壊し何か新しいものを生み出そうとしていた頃だし。ま、亡くなってから、あわてて、持ち上げても、遅すぎるのである。
ほいで、まあ、せっかく「マガジン」買ったのだからと、エリスン以外の掲載中の作品、ひととおり、目をとおしてみたのだが、「・・・?」以外の感想は持てなかった。ま、しゃあない。
鏡明氏がエリスンについて追悼文書いてて、エリソンの武勇伝、「フランク・シナトラに喧嘩売る」エピソードが紹介されており、オモロかった。文体がいつの間にかキモくなっていたのは、驚いたが、まあ、なにせ、日本最初の「ニューファミリー」だし、超革中のメンバーだから、しゃあない。長生きなさってください。
で、ちょっと、オレもオレなりに、生まれてはじめて、「これがいわゆる(忸怩たる思い)ってやつ?」感にとらわれつつあった頃、今度アニメ「とある科学の超電磁砲T」が始まるというので、ニコ動その他で、今までの「とある科学の超電磁砲(レールガン)」「とある科学の超電磁砲S」を一挙放映してたので、ふわ~っっと観てたら、一挙に引き込まれた。
「あ、こっちか!!」
ちょっと、ノリが、入ってしまった。
一挙放映、時間があわない、めんどくさい!、AmazonPrimeのアニメチャンネル入って全部、観て、ついでに、本編である「とある魔術の禁書目録(インデックス)」シリーズも全編観て、新作扱いの「とある魔術の禁書目録Ⅲ」「とある科学の一方通行」も、TSUTAYAでDVD借り、片っ端から観た。
コミックもKindleとDMMブックスで、「とある科学の超電磁砲」8から15、読み、原作小説(ライトノベル)も「新約とある魔術の禁書目録11」、食蜂操祈と上条当麻の胸キュンエピソードのやつ、読んだ。
オレは肉を喰いたいのに、「SFマガジン」という八百屋さん行って、「肉売ってない肉売っていない、おかしいおかしい」と思ってただけだったのである。「SFマガジン」という八百屋さん、大昔はそりゃ肉売ってたかもしれんが、時代が変わり、今は売っていなかった、それだけ、である。レアのヒレ肉喰いたいのに、人参やゴボウ喰っても、満足できないのである。今のSFでは、「白井黒子」みたいなキャラ、売っていない、作り出せない、のである。ワシが年取ったわけじゃないのであーる。。
感想とか、云うのはおこがましいが、「とある魔術の禁書目録」「とある科学の超電磁砲」、両方で描かれる「妹編(シスターズ)」は、それぞれ、素晴らしいとかいいようがない。同じストーリーを別視点で描き、それぞれ、微妙に異なった感動をもたらす、というのは、生まれてはじめての経験である。
「世界の中で愛を叫んだけもの」も「とある」シリーズも根っこは一緒かもしれんなあ、とか思ったりして。スタログとラストオーダーにめろめろになる前の一方通行(アクセラレータ)、似てる感じがした。こんなん感想でもなんでもない。エリスン読んで、すぐさま「とある」シリーズ観たら、誰だってそう思うだろう。
上条当麻はモテ過ぎじゃ、ぼけ。白井黒子、食蜂操祈が中学生である以上、オレは麦野沈利推しにしよっと思ったけど、浜面仕上にボコボコにされてエラいことになってしもたし、贔屓のフレンダは死んでもたし、スクールの心理定規もエエ女やが、垣根帝督が後ろについてるし。困る。
それはそれとして。
昨年、久々に、「SFマガジン」を買った。年遅れの2018年12月号。なにせ、「ハーラン・エリスン追悼特集」である。なにせ、ハーラン・エリスンの本邦初訳短編3つ入ってるのである。
だいたい、ハーラン・エリスンちゅうたら、小説を読む、というより、文字を通して、わけのわからん「熱さ」「ヤバさ」をビンビンに感じるもん、なんである・・・。小説のストーリーがわかんなくても問題ない、単語、濃密な文章が次から次へと紡ぎ出すイメージの洪水に身を委ねればいい。感じろ!
でも、遅すぎた。哀しいかな、今、エリスンは、オレにとって、もう、過去形にしなければならない。今回の3篇共、もう、「熱」を持って、読めなかった。
ま、エリスンがの今までSF、イモばっかじゃねぇか!ばかやろう、とSFそのものに喧嘩売りまくり、ぶっ壊し何か新しいものを生み出そうとしていた頃だし。ま、亡くなってから、あわてて、持ち上げても、遅すぎるのである。
ほいで、まあ、せっかく「マガジン」買ったのだからと、エリスン以外の掲載中の作品、ひととおり、目をとおしてみたのだが、「・・・?」以外の感想は持てなかった。ま、しゃあない。
鏡明氏がエリスンについて追悼文書いてて、エリソンの武勇伝、「フランク・シナトラに喧嘩売る」エピソードが紹介されており、オモロかった。文体がいつの間にかキモくなっていたのは、驚いたが、まあ、なにせ、日本最初の「ニューファミリー」だし、超革中のメンバーだから、しゃあない。長生きなさってください。
で、ちょっと、オレもオレなりに、生まれてはじめて、「これがいわゆる(忸怩たる思い)ってやつ?」感にとらわれつつあった頃、今度アニメ「とある科学の超電磁砲T」が始まるというので、ニコ動その他で、今までの「とある科学の超電磁砲(レールガン)」「とある科学の超電磁砲S」を一挙放映してたので、ふわ~っっと観てたら、一挙に引き込まれた。
「あ、こっちか!!」
ちょっと、ノリが、入ってしまった。
一挙放映、時間があわない、めんどくさい!、AmazonPrimeのアニメチャンネル入って全部、観て、ついでに、本編である「とある魔術の禁書目録(インデックス)」シリーズも全編観て、新作扱いの「とある魔術の禁書目録Ⅲ」「とある科学の一方通行」も、TSUTAYAでDVD借り、片っ端から観た。
コミックもKindleとDMMブックスで、「とある科学の超電磁砲」8から15、読み、原作小説(ライトノベル)も「新約とある魔術の禁書目録11」、食蜂操祈と上条当麻の胸キュンエピソードのやつ、読んだ。
オレは肉を喰いたいのに、「SFマガジン」という八百屋さん行って、「肉売ってない肉売っていない、おかしいおかしい」と思ってただけだったのである。「SFマガジン」という八百屋さん、大昔はそりゃ肉売ってたかもしれんが、時代が変わり、今は売っていなかった、それだけ、である。レアのヒレ肉喰いたいのに、人参やゴボウ喰っても、満足できないのである。今のSFでは、「白井黒子」みたいなキャラ、売っていない、作り出せない、のである。ワシが年取ったわけじゃないのであーる。。
感想とか、云うのはおこがましいが、「とある魔術の禁書目録」「とある科学の超電磁砲」、両方で描かれる「妹編(シスターズ)」は、それぞれ、素晴らしいとかいいようがない。同じストーリーを別視点で描き、それぞれ、微妙に異なった感動をもたらす、というのは、生まれてはじめての経験である。
「世界の中で愛を叫んだけもの」も「とある」シリーズも根っこは一緒かもしれんなあ、とか思ったりして。スタログとラストオーダーにめろめろになる前の一方通行(アクセラレータ)、似てる感じがした。こんなん感想でもなんでもない。エリスン読んで、すぐさま「とある」シリーズ観たら、誰だってそう思うだろう。
上条当麻はモテ過ぎじゃ、ぼけ。白井黒子、食蜂操祈が中学生である以上、オレは麦野沈利推しにしよっと思ったけど、浜面仕上にボコボコにされてエラいことになってしもたし、贔屓のフレンダは死んでもたし、スクールの心理定規もエエ女やが、垣根帝督が後ろについてるし。困る。
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